『父を超えたいのだ』

 夕暮れ。すっかり冷めた茶に目を落としながら、男は先の客人が言った言葉を思い出す。
 さすが親子なだけあって、よく似ている、と思った。
 恐らく兄弟の中で最も父親に似ている。その瞳の強さも、秘めたる激しさも、気高さも。
 だからこそかの父は、息子を敬遠するのだろう。一番己に似ているから。同族嫌悪というものか。
 ふふっと笑声を漏らす。
 昔から彼は自分のところにはよく顔を見せに来ていた(父親には内緒であったが)。きっと自分が幕僚の中でも若いから、親しみやすかったのだろう。
 懐かしいなあと微笑み、饅頭を齧る。見舞い品だとかの客人が仏頂面で差し出した桃饅頭。好物であるということを覚えてくれていたのか。周りは彼を冷酷であるとよく評すが、その実このように繊細な気配りのできる若者だ。鉄面皮の下には、猛々しく、そして実は寂しがりやで優しい、人間味のある顔が隠れている。普段は他人には見せないが、そういう変に気位が高いところは父親そっくりだ。
 その、幼き頃よりの馴染みの客人が、男へ言った。

『私は父を超えたいのだ』
―――
『だが足りぬ。何より父にあって私にないものがある』
『それは?』
『私を支え、助ける者だ』

 そう言って、真っ直ぐ見つめてくる切れ長の双眸。

『そのように焦らずとも、貴方が殿の後を継げばいずれ皆貴方の臣となりましょう』
『それは違う。それは、「父の息子」に仕える者たちだ。「私」にではない。私は、私自身に仕える者が欲しいのだ。父の子であるからではなく、私だからこそ仕えると言う者が』

 男は何も言わなかった。相槌を客人が必要としていないことを知っていたから。

『もしお前の正面にいたのが父ではなく私であったら、お前は仕えたか?』
『否ですね』

 即答だった。あまりにもあっさりきっぱりした答えに、怒りも感じずむしろ青年は苦笑を浮かべる。

『随分はっきり言うな』
『この時世に戦が苦手などと言う主君を戴いてはやっていられませんからね』

 満面に邪気のない笑顔をつくりながらも辛評を口にした。彼の父親―――自らの主に対してでさえ男は臆することなく毒舌を放つ。遠慮と言う言葉など知らない。そこが主君の、この男を好み重用する所以でもあった。

『落ち込まれますな。確かに貴方には殿のような戦に長たるものはない。ですが、新しき世を作る才がある』

 だが男は、そんなことを口にした。

『作る才?』
『然様。旧きを打ち壊し、新しき道を切り開く起の力は確かに御父上に敵わない。しかし、それを発展させ、栄盛させる―――承に転じ永へと繋ぐ才能は、むしろ少爺(ぼっちゃん)のほうにあると私は思いますよ』
『……「少爺」はもう止せ』
『おっと、これは失礼』

 全く悪びれず笑う男に渋面をつくりながらも、青年は先ほど耳にした一言を口に上らせる。

『だが、新しき世を、か』

 そのままじっと黙り込む。
 そして長い沈黙の後、顔を上げ、告げた。強い意志の宿る声音で、

『私は父を超えてみせる』
『はい』
『だから私はきっと見出す。私に仕える、私だけの臣を』
―――はい』

 目を細め、男は青年を見つめる。超える、と言い切った青年の瞳は、鋭く強い輝きを宿している。それは、彼の父と同じ目。
 天下を獲る、と宣言した、かの主と同じ眼差しであった。
 彼に教えた酒楼は、よく男と主がお忍びで行く所だった。
 そもそも、彼と彼の主が初めて出会ったのも、頴川の片隅の酒楼だったのだ。

「時代はうつろう。意志は紡がれる。より若き世代へと―――

 西日に逆光となって、輪郭赤く黒く浮かぶ影の中、誰へともなく男は小さく嘯いた。




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