奇麗事だけを並べて 奇麗事だけで嘘ついて

かかり降る雨の中 何かが浮かび消えていく




普遍(ふへん)



 俺には、どうにも嫌いな物語が一つだけある。
 嫌いというよりは、あまり良い思い出が無いと言ったほうがいいだろうか。
 物語そのものは、どこにでもあるような、つまらない昔話なのだけれど―――


 昔々、ある村があった。
 そこはとても仲の悪い村だった。村人たちは毎日喧嘩し、いがみ合い、相手を貶め合っていた。
 それゆえに近くの村々の者は、その村を「不和村」と呼んでいた。
 そこに、ある日一人の男が現れる。
 男の名前は隗元景という。そのあたりでは評判の盗賊で、一度暴れだすと手がつけられず、人殺しも平気で行う。普段は山奥に暮らしているが時折こうして村に降りてきては、金や食料、女を強奪していく。止める者があれば、容赦なく暴力を振るった。
 隗元景はまた身体が岩のように大きく、力は鬼のように強かったため、近隣の住民たちは男に怯え、誰も手が出せず、悩みの種であった。
 隗元景が不和村に現れた時、さすがの村人たちもそれぞれ喧嘩を止め、慌てて長老の家に集まった。しかし話し合うはものの、それまで仲違いばかりしてきたせいで意見はまとまらず、良い方策は一向に思い浮かばない。皆が途方にくれたとき、それまで部屋の片隅で黙っていた一人の若者が立ち上がった。
 彼はたまたま数日前、一つ山を越えた向こうの非常に仲が良い村―――相好村からやってきた旅人だった。
 彼は言った。「私に良い策があります。しかしそれには、この村すべての人の手助けが必要です」
 それを聞いた村人達は、最後の望みを若者に託し、若者が指示するままに力を合わせ、見事隗元景を追い払うことができた。
 これをきっかけに、それまで仲の悪かった村人たちは目が覚め、お互い助け合うこと、協力し合うことの大切さに気づき、以後この村では一切喧嘩など起こらなくなった。そのためこの村は、今では不和村ではなく協和村と呼ばれ、村人たちは今でも平和に暮らしているそうな―――


 本当に他愛も無い、とるに足らぬ昔語。つまりは和することと助け合うことの尊さを説くためのもので、今思えば滑稽なほど単純な訓話である。
 それでも大人は子供にその尊さを学ばせるために読み聞かせ、そして何故か訊くのだ。「この物語の教訓は何か?」と。
 当然、普通の子供であれば「和の大切さ」と答えるだろう。
 だが俺はそうは思わなかった。
 ただ純粋に、単純に、思うのだ。そして答える。「隗元景がいたから村は変われた」と。
 すると大人は決まって眉をひそめる。俺を、まるで理解できないものを見るかのような目で睥睨する。

 ―――なんという捻くれた子供だ。
 ―――素直じゃない子。可愛げのかけらも無い。

 たまたま同じ話が水鏡先生の書院で出た時も、俺は答えを変えなかった。
 老師は案の定諦めたように溜息をつき、大師兄は鼻で笑い、一つ上の老二ですら困惑気味に顔を曇らせていた。

『どうしてそんなことを言うんだ』
『隗元景がいなければ、村はずっと不仲なままで、平和になることなんてなかったからだ』
『老三……これは説話なんだ』

 言われても、分かっていても、答えを変えることはできない。
 確かに物語上では、旅の若者が正義であり、彼のおかげで村は仲良く、平和になれた。しかしその裏で、そのきっかけを与えたのは隗元景だ。若者だけがいても村は変わることはなかった。だが隗元景の存在だけで、村人たちは協力体制へと一歩を踏み出せた。彼が現れ、討伐の対象とならなければ、村は永遠に救われぬままだっただろう。
 可愛げが無い。捻くれている。屁理屈を捏ねる―――そう言われることは慣れていた。自分が他人よりも異端だということも、嫌というほどよく理解していた。
 そしてこの学び舎でも―――二奇とは年が近いこともあり、なかなか仲良くしているが、やはり根本的なところでは違う。ただ二奇のそれは尊ぶべきことであって、忌んだりはしない。
 けれども。
 自分の考えを理解してくれる人間は、いつか現れるだろうか。
 どこかで、そんなことを想っていた。




「そりゃお前、奇異な目で見られるのは当然だ」

 薬草と雑草を取り分けていた背中が笑った。

「大人ってのはお手本通りの答えを求めるものだからな」
「間違ったことを言ってはいないと思うけど」

 欄干の階段に足癖悪く腰掛け、暇潰しに手遊びなどしながら俺も反駁する。

「まあそれは考え方次第だが。とりあえず可愛くはないはな」

 年嵩のこの医者とは、たまたま街に老師の急病で医者を呼びに行った折に知り合い、その縁で今でもたまにこうして近くを寄ったときに薬を置いていってくれる。
 年の差も関係なく、不思議と意気投合していたりする。

「時には周りに合わせることも必要ってことさ。処世術を身につけないと世渡りに苦労するぞ」

 協調性は大切だと言われ、そんなものかと少し考え込む。助言として考慮に入れておこう。

「まぁお前の言わんとしていること、分からんでもないがな」

 華陀は薬草で一杯にした籠を肩に担ぎ、立ち上がった。

「何だ、もう行くのか」
「ちょいと用事があってな。老先生にもよろしく伝えてくれ。もうしばらくこのあたりウロついているから、何か御用があれば伺いますと」

 最近金欠でな、と小声で付け加える華陀に、もしや懐寂しくなると来るのかなどと勘ぐる。あながち間違ってはいなそうだ。それならば患者全員から金を取ればいいようなものだが、取れる者からしか治療代を取らず、取っても雀の涙であったり、時には無償であったりもする。そうするのが華陀の信条らしかった。

「分かった、伝えておくよ」
「よろしくー」

 そう告げて去っていく背中を見送る。
 世とは何なのか。人とは―――そんな答えの出ぬ問いをぼんやりと繰り返しながら。




 そんな中、ある時新しい師兄弟がやってきた。蒸し熱い夏の日だった。
 四番目の弟子となる者は、まだ小さい子供だった。年齢よりもなお幼く見えたのは、病弱だという身体のせいか、それとも茫洋として眠たげな表情のせいか。
 人見知りしているのか、それとも新しい環境に慣れていないのか、それすら曖昧なほど四奇の態度は平坦で、口数も少なく、表情も乏しかった。
 親も親で(いや、連れてきただけで親とは限らないが)、特に別れを名残惜しむこともなく、むしろようやく厄介払いが出来たとばかりに、さっさと帰って行った。一度も子供を振り返ることもなく。
 そして子供の方も、それを悲しむでもなくただ淡々と佇んでいた。

 不思議なことに、彼を一目見たときに俺は直感的に悟った。こいつは自分と同じだ、と。
 同じ人間というのではなく、同類―――仲間という意味で。
 どうしてそう感じたのかは、今でも分からない。ある種の予感、共鳴というのだろうか。

 直下にあたるということで、必然的に俺が大方の世話を見ることになった。
 すぐに熱を出しては寝込むこの弱々しい師弟を、自分でも不思議なくらい随分甲斐甲斐しく面倒を見ていたと思う。二奇に「お前がそんなに面倒見が良かったとは意外だな」と言われて、初めて自分でもそういう一面があることに気づいた。
 最初は無口だと思っていた四奇だが、実はそうでもなく、自分からあまり話さないだけで、こちらが話しかければそれなりに返してきた。一緒にいる時間が長くなればなるほど、より多くの面を見せた。外見の脆弱さに反し、内に持つものは確固と強いことにも気づいた。

 使いで城街に降りる日には、老師の指示で四奇も連れて行くことになった。
 これも恒例のことで、新入の弟子は師兄が城街までの道や買い物の仕方を教える形になっている。自分も初めて城街に下りたのは二奇に付いてであった。
 四奇は初めての城街に興味を示していた。自分に手を引かれながら始終キョロキョロと目を動かし、心なし浮き足立っているようだった。蒲柳の質ゆえにどうしても屋内に留まりがちな分、外に対する関心が強いのだ。
 だから用事が済んでも真っ直ぐ帰らず、西の門を目指した。

 西門を出れば、そこには草原が広がっている。高地で遮るものもないせいか、いつも風が悠々広々と吹いている。そこは密かに見つけた気に入りの場所だった。
 案の定、四奇も気に入ったようだった。常に微睡(まどろ)んでいるような眸が、宝物を見つけたように輝いていた。
 心地良い暮れ風を受けながら、二人でぼんやり草叢に座って空を眺めていた。日が傾いて、辺りは一面の夕焼け色だった。あの色を今でも覚えている。
 気まぐれだったのか、ふとあの話が口をついた。

「『不和村と相好村』の説話、知ってるか?」

 四奇はただこちらへ首を傾け、黙ってこちらを見つめていた。それが肯定を表していることを知っていたので、構わず続けた。

「お前は、あの話が真に伝えたいことは何だと思う?」

 言ってから、自分自身に苦笑した。己より年下の幼い童子相手に、何を訊いているのだろう。
 四奇はやはり無言のまま、顔を戻して、揃えて立てた膝に顎を乗せる。子供らしいゆっくりとした調子で、呟いた。

「……さあ。俺には、よく分かんない」

 その答えを聞いて、どこかがっかりしている自分がいることに気づいた。そんな己自身に軽く驚いた。一体自分は何を求めているのだろう―――
 でも、と隣の呟きが続く。
 膝に頬をつけたまま再びこっちを向いて、四奇は笑んだ。

「隗元景がいなかったら、不和村はあのままずっと仲悪いままだったと思う」

 その言葉に、その表情に、一瞬瞠目する。四奇が笑うのを見たのは、初めてのことだった。
 それからにやりと口端を上げた。手を伸ばし、四奇の頭を乱暴に撫でてる。
 「痛いよ老三」と茫洋と訴える四奇を無視し、笑いながら肩を抱き寄せた。

「やっぱりお前は俺の『同志』だな」

 それは待ち望んでいたものを得た喜びの瞬間だったのかもしれない。




 懐かしいことを思い出して、三奇は微笑した。
 目の前では今、新入りの五奇を四奇がぬくとそうに抱え込んでいる。ついでに五奇もまんざらでもなさそうにぬくぬくと抱え込まれている。
 つい最近書院に来たばかりのこの五番目の師弟を、四奇はいたく気に入ったらしい。ここのところベッタリで、二人してあちらこちら連れ立ってる様はコロコロした鞠のようだ。初めての弟弟子ということもあって四奇も嬉しいのかもしれない。

「何だ老三、ニヤニヤして」

 二奇が怪訝そうに覗き込んでくる。
 三奇はいや、と首を軽く振った。

「何でもない。ただの思い出し笑いさ」
「? 何だ、おかしな奴だな」

 不思議そうにしている二奇にただ笑い返し、再び仲良く書を読んでいる師弟二人を眺めた。




 今でも俺はあの物語は嫌いだ。
 偽善的で教本通りの答えを求めるのが気に食わない(まるで老六や老七のようだ)。
 だが―――そんなものでも、よくよく考えればそう悪い想い出ばかりでもなかったようだ。



自分の居場所もないまま やたら過ぎていくだけの日々

かかり降る雨の中 何かが形変えていく




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