九連環 最近ずっと考えていることがある。 自分は、何故こうして勉学に身を投じているのか。 勉強して、何を為そうとしているのか。 この乱世に出て、何をするつもりなのか。 何のために。何のために。 このところ、そればかり繰り返している。繰り返しては、答えの出ぬ問いに堂々巡りとなっている。 「“どうして世に出るか”ぁ? んなの決まってんじゃん。ずばり自分の能力がどれだけ通用するか試すためさ」 箒を逆さに振り回し、六奇が勢いよく答えた。 穂先についていた枯れ葉と土がパラパラと落ちてくる。 「何のために、こんな長いことこんな山奥で勉強させられてるって思てんだ。この、人より切れる頭使ってこの乱世を終わらせるためだろ? なら思う存分力を試さなきゃ損じゃんよ。これぞと思う主君について、数多の戦を勝ち抜いて、天下を獲らせる。浪漫だねぇ」 うっとりと演説する六奇の顔を斜に見上げ、勾覧の階に腰掛ける七奇はそんなものかな、と首をかしげる。 とりあえず六奇が箒を振り回したせいで、せっかく掻き集めた落ち葉がまた散らばったのは確かだ。ちなみに六奇は悪戯による罰で一人掃除を命じられている。 どうやらその惨事に気づいたらしく、悦に入っていた六奇が「あー!」と叫ぶ。この同胞が頭がいいのか悪いのか、七奇は未だに判断に迷う。 せっせとまた最初から掃き直す姿を頬杖ついて見ながら、やはり釈然としないものを感じた。自分はどうしても六奇のようには考えられない。出山することが嫌なのかと言われれば分からない。多分そうではないと自分では思う。 ただ、目的がはっきりしないのが何とも足元が覚束ないようで心地悪いのだ。 結論。六奇の意見はあまりあてにならない。 そう思って七奇は立ち上がった。他に誰か、もっと参考になるようなことを言ってくれそうな相手に聞いてみよう、と回廊を移動する。 こういう場合七奇がとる選択肢は大体決まってくる。五奇に訊くのは何となく癪だし、三奇には絶対に訊きたくないし、大師兄こと袁方からは自分の期待するような答えは得られない気がするので除外。 とするとやっぱり残るのは二番目か四番目の師兄ということになるのだが、とことん真面目で基本的に高潔な二奇の答えは、何となく予想がつきそうではある。 消去法の末、最終的に残った相手は一人。 しかしこんなこと尋ねるためだけにわざわざ行けば、かの師兄はきっと果てしなく煩わしそうな顔をするか、あるいは面倒臭そうにあしらってくるか、あるいはその両方だろうが、七奇ももはや慣れていてその程度では動じなくなっていた。人間、耐性がつくと図太くなるものなのだな、としみじみ思う。 とにかく、他人から見れば取るに足らない問いであっても七奇にとってはそうではないのだ。 思い立ったが吉日とばかりに目的の室へ行き、小さく息を吸う。 「師兄、いいですか?―――老四?」 数拍して反応がなかったので、もう一度声をかける。しばらく待ってみたが、反応がない。 寝てるのかな、と小首を傾げつつ、そっと扉を開けて中をのぞいてみる。無人だった。 七奇は唖然とする。たしか四奇は朝から怠いと言っていて、部屋で休んでいるはずだった。 だがこの様子だと――― (また抜け出し?) ガクリと肩を落とした。四奇の脱走は度々あることだが、よりにもよってこの時とは――― それにしても、当の本人は実際に先週も咳が止まらず、つい数日前には熱も出している。幸い大したものではなかったものの、病み上がりといっていい状態でどこへ行ってしまったのか。 恐らく下の街だろうがと検討をつけてから、何だか心配になってきた七奇は、少し考えてから服を着替えに自室へ爪先を向けた。 ざわめく雑踏を縫う。 行きかう人の頭数を一目見て、また増えたな、と七奇は心中で呟いた。片田舎の小さな城街だが、明らかに年々人数が増えている。それはここが未だ戦火から遠い地であることも理由の一つであったが、何より水鏡先生の書院があることが大きな要因だった。その証拠に、学者や学生と思われる老若が目立って多い。彼らは水鏡先生の元へ乱世の学を学びにいきながら、書院に一番近いこの城街に留まるのだ。自然、それを目当てにした商売が始まり、それが更なる人を呼び寄せるという図式で、小さな街を活気づかせていた。 しかし、増加したのはそういった移住の者だけではない。 昔からこの東門付近一体に住み着いていた浮浪者やならず者といった輩も、明らかに数を増していた。そういった者達もやはり戦火を逃れてこちらに流れてきているのだろう。街の秩序が乱れなければいいがと思う。 目的の姿を探して、七奇はキョロキョロと視線を彷徨わせる。確証はないが、四奇が来ているとすれば城街の東側にいる可能性が高い。あと考えられるとすれば西郊の草原だが、先に城内を探すことにした。 心当たりのある場所を順に見て回る。あたりをつけた店の中をのぞき、そこも外れと分かると、失望を嘆息に滲ませて踵を返した。 その時、逆方向から来た人間に正面から思い切りぶつかってしまった。「うわ」と叫び、慌てて謝ろうとして顔を上げてから、七奇は思い切り後悔した。 「何だァ、このガキ」 「痛ってぇなコラ」 相手が悪かったことに気づき、舌打ちを堪える。人探しに集中するあまり、此処が最も無法者の多い区域であることをすっかり失念していた。 「どうした?」 そうするうちに後からわらわらと仲間らしき青年達が集まってくる。どれもこれも七奇に対して一回りは年上だろう。人相を見る限り、とても堅気ではない。 「なんだ」 「いや、このガキがよォ、人に思いっきりぶつかっておきながら謝りもしねぇ」 「そいつぁ聞き捨てならねぇな」 ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべ、青年達が見下ろしてくる。七奇は努めて平静を保ちつつ、それらを逆に見据え返す。 こういう類の輩は、たとえ謝ったところでそれで終わり、ということはまずない。元から標的を決めて、はじめから計画的に近づいてくるからだ。 とても知性も仁義の欠片も見当たらぬ風貌を見て、むしろ七奇は不思議だった。自分の周りにいる、彼らほどの年齢の男達と比べ、あまりにもの差。あのいけすかない三奇でさえ、性根はとことん捻れているものの、このように卑しい笑い方は絶対にしない。彼らと、今目の前にいる青年たちでは、一体心のありようのどこが違うのだろう。 さて、財布を渡せばあっさり引き下がってくれるか。それともハッタリで窮地を脱するか(三奇の常套手段なので癪だが)。はたまた、門番のいる所まで走るか―――逃げおおせる自信は甚だないが。たとえ多少暴行を加えられても、華陀の養生所もある。まぁ命まではさすがに取られないだろう―――七奇は妙に冷静に事態を分析している自分に気づいた。 怯えるどころか、落ち着いた顔で自分達を見返してくる子どもに、男達の様子が剣呑なものに変わる。 「すかしたガキだぜ」 「生意気だな」 「ちょっと指導かましたるか?」 不穏な会話を交わし始める青年たちに、七奇は選択肢の一つが消えたことを悟った。なるほど、ことを穏便に済まそうとする時は、時間が勝負なのだなと胸中で頷く。 これは痛みしかないかもな、と覚悟を決めた時、不意に背後から声がかかった。 「おい」 一瞬そちらに目を向けた青年たちの顔が一斉に強張るのを、七奇は見た。 そして同時に、聞き覚えのある声に自分もびっくりする。 「そいつが何かしたか」 場違いなまでにのんびりした口調。間違いない。振り向いた七奇の目線の先にいたのは、案の定自分の探し人だった。相変わらず眠たげな表情は、ただならぬ雰囲気の現場を目にしていてもゆったりと構えてまったく動じた様子はない。 「老……」 「げぇ、郭さんっ!」 声を上げかけた七奇を遮り、青年たちが悲鳴に近い叫びを上げた。先程の態度とは一転、妙に低い姿勢であたふたと取り繕いはじめる。滑稽なまでの転身に、七奇は呆然とした。 「いや、えっとこれはですね……」 「別に、餓鬼イジメんのがあんたらの志ってなら俺は構わないけどさ、悪いけどそいつ俺の 「えっ、このガキ……いや、郭さんの弟分だったとは、知りませんで」 「そいつが何かしたんなら俺から謝るよ」 「いえいえいえ滅相もない! ちょっと出会い頭で軽くぶつかっただけっスよ、なぁ!」 いきなりこちらに振られても困る。七奇は曖昧に「はぁ」と答えた。 「ならいいけど。―――おい。行くぞ、亮」 いきなり名を呼ばれ、七奇は大いに吃驚し呆けた。 しかし四奇の瞳に促され、その意図をようやく察して駆け寄る。 そうだ、今は自分達は覆面をつけていない。この水鏡書院の膝元で、うっかり師哥とか老七などと呼び合うものなら、勘のいい者にならすぐに疑われてしまう。水鏡八奇は来るべき時まで、同じ水鏡老師の学生であっても、決してその正体を明かしてはならないのだ。 「ていうかお前、何だってこんなところにいるんだ」 微かに怒りの篭った声音で訊かれ、師哥を探しに来たんですとも言えず、どう答えたものか悩む。 しかし四奇は特に関心はなかったらしく、それ以上訊いてこようとはしなかった。むしろ何か別のことに気をとられている様子である。 「あの藪め。何が吉方だ、凶方じゃねぇか」 忌々しげに舌打ちしている。何のことか七奇が怪訝そうにしていると、「なんでもない、気にするな」と手を振った。 「老……じゃなくて、えっと」 外ではあまり水鏡八奇であると身バレするような言動を慎むよう老師から言われている。 何と呼んでいいか分からず口のなかでモゴモゴ言葉を捜していると、 「兄でいい。嫌なら呼ばなくてもいい」 至極完結に言われた。嫌なわけはない。だが兄となると、四兄とかそう呼ぶことになるわけで、今更ながら気恥ずかしさが先立った。しかし亮と諱を呼ばれることは、たとえ本当の兄ではなくても嫌な気はしなかった。 と、そこに到って七奇は我に返り、自身の思考に気味悪くなった。恋する乙女か。何もそう深刻に悩む問題ではないだろう。 「何でもいいが、お前金は持ってるか?」 「はあ。少しですけど」 「よし。じゃあ助けてやったんだから礼に何か奢れよ」 「えー!」 と言ったらデコピンを食らわされた。かなり痛い。 「お前、誰のおかげで無事五体満足でいられると思ってるんだ?」 七奇は口ごもった。仕方なく、赤くなった額を摩りながらすごすごと財布を出す。 これではていのいい恐喝だ。 「何買うんですか……」 「そうだなぁ」 歩きながら首を巡らせていた四奇が、ふとある所で目を留める。 七奇がそれを追うと、乾物店だった。四奇の目線はそのうちの一点に注がれて、しばらく動かなかった。 「師……じゃなくて四兄?」 「よし、あれ」 四奇が求めたのは、赤い実を蜜漬けにしたものだった。何かと問えば、枸杞の実だという答えが素っ気無く返ってきた。 そのあと、強引に引っ張られるままに茶屋の外にある卓子に座って、茶を注文する。 ふぅーと一息吐くと、四奇は赤い実の包みを横に置き、目の前に葉のついたものを掲げた。七奇はそれをジッと見つめる。そういえば先程から四奇がずっと手に持っていたような気がする。雑草のようなそれは、どこかで見たことがあった。 四奇はしばらく観察した後、それを気まぐれに銜えてみたりしている。なんだ、只の薄荷じゃないか、と少しがっかりしたみたいに呟いた。 「それって、もしかして華大夫の?」 「ああ。さっき診療所に行ってかっぱらってきた」 「かっぱらって……」 「ちぇ、 それでも離さないところを見ると、案外お気に召したようだ。スースーするのが心地いいらしく、ご機嫌な面持ちで吸っている。ちなみに当の華陀は、蒟醤が手に入りづらい時に薄荷葉で代用していた。 「ところであの、さっきの方たちは一体?」 先程からものすごく気になっていたことを尋ねる。どう考えても不良集団としか思えないあの若者連中が、四奇には手の平を返したように媚び諂っていた姿が忘れられない。もしやこの辺り一帯の縄張りは四奇がまとめていたりするのでは……とつい疑ってしまう。 「あー? あぁ、あれか」 華陀みたいに上手く話せなかったのか、四奇は少し考えてから薄荷葉を外した。 「前に絡まれてな」 「賢兄が!?」 「弱っちそうに見えたんだろ。面倒だから、奴らのアタマに周りに迷惑をかけない力勝負をしようじゃないかって持ちかけた」 「力勝負?」 「腕相撲」 七奇はあんぐりと口を開いた。ちなみに四奇の怪力は身を以って体験済みである。 「で、勝敗は」 「言わずもがなだろう」 四奇は葉をくるりと回した。 「だが向こうがもう一勝負とワガママ言うんで、じゃあ今度はそっちから賭け勝負を決めていいと言ったら、飲み比べと言ってきた」 「それで……」 「当然俺が勝った」 これまた呆れた話である。頭目も頭目だが、それを受けた四奇も四奇だ。ちなみに四奇は確か今年で十九である。成人直前であり子どもではないとはいえ、飲み比べを易々と持ちかける年齢でもない。だが七奇は思い直した。確かに四奇はかなりの酒豪だった。ただし体調にかなり左右されるが。 「それでも納得がいかないだのイチャモンつけたてきたから、ウザったくなって顔面にゲンコぶちこんでやった」 そしたら一発で沈んでしまったらしい。結果今のように、恐れられる存在になったというわけだ。 うざったくてなどとあっさりと言う四奇に、七奇は尊敬していいものか呆れていいものか、もはや分からなくなった。つい溜め息がこぼれる。 「まぁでも、なかなかいいもんだぜ。ああいう奴らは情報通だからな、使いようによっては便利だぞ」 四奇は微笑み、再び薄荷葉を銜えて頬杖をつく。 「人を治むには人を制せよってな」 「俺にはとてもじゃないけど無理です、そんな荒技」 「お前にはお前のやり方があるだろ。何も無理して合わない方法を取る事はない。―――ああ、来たな」 そう呟くと、四奇がおもむろに片手を上げる。 肩越しに背後をうかがえば、人ごみの向こうに一度見たら忘れられない珍妙な髪型が覗いている。 どうやら四奇は彼とここで待ち合わせをしていたらしい。 「とにかくそういうことさ。お前も、これからもう少し気をつけろよ」 そう告げて四奇は腰を上げる。七奇は慌てて傍らを通り過ぎかけた袖をはっしと掴んだ。 「四兄」 「何だよ」 「四兄は……何のために乱世に出て戦おうと思っているのですか?」 唐突な問いかけによほど虚を突かれたのか、四奇はまだ幼いと言ってもいい師弟をきょとんと見下ろしていた。 それからふ、と不敵に笑う。 「何だそんなこと。そんなの自分のために決まってるだろ」 それは六奇の答えにも似ていて、しかし何かが違った。心に響くものが違う。 「自分のため?」 双眸を瞬かせる七奇に、そうだと四奇は頷いた。 「俺は半ば厄介払いでここに来て、否応なく勉強をさせられたけど、その結果今の俺がある。俺と、俺をとりまくものがある。俺はそれを存外気に入っているんだ。誰かを支えたい、何かを守りたいっていうのは、ひいては自分のためということだろう?」 そう言うと四奇は不意に七奇の額に強烈なデコピンをお見舞いした。元が怪力だから、かなり衝撃が来て軽く仰け反る。 「ったァ! 何するんですか」 「ガキがつまらないことにグジグジ悩むんじゃねーよ。お前はまだいいんだよ、そーゆーことは。ただ覚えておけ。考えるのはいいが、考えすぎてもどうせ堂々巡りになるだけなんだから、大概にしておかないと肝心の答えを見失うぞ。結局最後に戻るのは、案外一番最初に思いついたことだったりするもんだ」 人の思考というのは環みたいなものだからな。四奇はニヤリと笑むと、せいぜい頑張れとばかりにぽんぽんと七奇の肩を叩いた。それを別れに、待ち人の所へ向かう。 しばらく茫洋と宙を眺めていた七奇は、やがて誰へともなく頷いた。うん、何となく参考になった気がしなくもない。答えはまだ出ないが、今は焦らなくていいんだと言われた。それでようやく背伸びしていた自分に気づいて、肩から力が抜ける。 そうだ、まだ時間はある。焦って答えを出さなくてもいいし、焦れば焦るほど答えは遠のく。今はただ、答えを出せるようになるまでひたすら知識を得て見識を磨くことに専念すればいい。時が到ったとき、自分にとって正しいと思える選択ができるように。 当初の目的も果たせたこともあってか、気持ちは頭上に晴れ渡る空のようにスッキリとしていた。 さて、と腰を上げたところで、ハッと顔を上げた。茶屋の主人らしい老婆が立ってこちらをじぃっと見ている。 ……さりげなく二人分の支払いを押し付けられたことに気づいた、秋晴れの昼下がりであった。 |