(こんじき)に咲く万泡沫(うたかた)




「何かいーもんあった?」
「うーん、いまいちだな」

 四奇が彼の肩越しに覗き込んできて、三奇は手に持ち眺めていた文鎮を商品台に戻した。
 美しい彩色や繊細な彫刻を施した文房四宝が日の目に晒されて輝いている。よりどりみどりの品が並ぶ台を一覧し、三奇は「ううむ」と唸った。そんな師兄を見て、四奇は軽く嘆息する。

「こんな年にもなると存外難しくなるもんだね。硯は去年だったし、携帯筆記用具は一昨年だったし。その前は小刀だったっけ」
「文具系はもうネタ切れか」
「毎年同じじゃ面白味ないしなー」

 四奇は屈めていた腰を伸ばすと、軽く伸びをした。三奇は依然台の前にしゃがみ込み、顎を撫でて考え込んでいる。
 二人の背後では人行きが賑やかに行われている。この街も随分活気付いたものだなと、四奇が視線だけ向けながら呟く。特に自分達の所属する水鏡老師の書院の影響で、かなり学生が増えた。おかげでこういった文具一式を売り物にする商人も、以前より数を増していた。

「だが文具以外となると他に何がある? 書物なんかはそれこそ書院にいればより取り見取りだろう」
「いっそ、こんなのにしてみるとか?」

 そう言いながら四奇が指に引っ掛けたのは、文具商の横に店を展開する装飾商店の翡翠の腕輪だった。
 明らかに女性ものと分かるそれに、三奇は「それもありか」と軽口を叩きつつも苦笑する。万一にでもそのようなものを買っていけば、彼の人物がどのような反応をするか想像にかたくない。柔和な面に静かな怒りの炎を滲ませる光景が目に浮かぶ。それはそれで面白そうかな、とつい悪戯心が沸くが、すぐに当初の目的を思い出して打ち消した。自分達の目的はあくまで彼を喜ばせることにあり、気分を害させるのは本意ではない。

「あーあ、老二って何が欲しいんだろう」

 四奇が顎を逸らして吐息をつく。
 そう、二人の目的は二奇への贈り物。この週の末は、二奇が水鏡書院に入った日なのだ。
 彼らは誕生日を知らない。だから書院に来た日を記念日として祝う。
 三奇と四奇は毎年この日に、二奇へ贈り物をする。それは誰が言い出したことでも強制したことでもなく、自然と三人の中の定例になっていた。他の師兄弟達は知らない。三人が、それぞれお互いに祝いあう。ささやかな習慣だった。
 小さい頃はそれこそ街にもそうそう出られなかったしお金もそれほどなかったから、野の花だとか二人で削り出した木の彫り物だとか、時には饅頭一つだとか、そんな些細なものだった。それで充分だと思っていたし、それだけで満足だった。
 しかしこの年齢にもなるとそうもいかない。
 二奇が喜びそうなもの―――これがなかなか思いつきそうで思いつかなかった。いや、きっと二奇ならば、何をあげても心から喜ぶだろう。気持ちだけで十分嬉しいと思う、そういう人間だ。
 けれど、二人としてはそれだけでは物足りない。やはりもう一つ工夫が欲しい。

 様々に考えながら、四奇が何気なく視線を滑らせた。
 ふと、キラリと何かが反射して、気を引かれる。
 あまり見ない商人が、品物を広げているのが目に付いた。
 興味を引かれるままに近づき覗き込めば、これまで目にしたことのない不思議な品々が、所狭しと陳列されていた。目的も用途も分からぬ、奇怪とも思える形状ばかりだ。

「面白いな」

 我知らず呟くと、大きな布のようなものを頭からすっぽりと被った商人が口を開いた。

「西の方の品ですよ」

 四奇は相貌を上げる。異国風の様相の商人は、浅黒い面に愛想の良い笑顔を浮かべていた。
 話に聞く砂漠の商人だろうか。顔立ちも特徴的だが、漢語に訛りがある。
 珍しいと思った。砂漠から来た商人は大抵が長城壁下で取り引きをする。このような東にまでわざわざ足を運んで売りに来る者は滅多にいない。

「西と言うと、西域の?」
「いえ、もっと西です」
「じゃあ天竺?」
「もっともーっと西の方ですよ」

 商人は左腕を上げ、西を指した。

「ご存知ですか。天竺より更に先。広大な砂漠を渡った西の果てには、この大漢に劣らぬ絢爛豪華な国があるのです」
「大秦のあたりか」

 おや、と商人が驚いた風に目を瞬かせた。その手振り身振りの大げさな様は、いかにも異国風だった。

「お客さん、若いのによくご存知アルね~」
「まさか大秦から直接仕入れてきたものか?」
「いやいや、そんなことしてたら流石に時間もかかりすぎるし第一身が持ちませんや。西から来た隊商連中から買い取ったもんですよ。本当は私も更にそれを大漢の商人に売る仲介役なんですがね、たまたまこちらの方まで来る用事があったんで、許可もらってここで店開かせてもらってるんです」

 妙な節回しで披露する商人の話を、「ふーん」と気のなさそうに聞き流しながら、四奇は両膝を抱え込むようにして商品を眺める。それから顔を上げ、二つ向こうで未だに悩んでいる師兄を呼んだ。

「おーい老三。こっちこっち」

 四奇の声が届いて、三奇はようやく目を上げた。
 少し離れたところの店の前で、屈みながら手をふる四奇の姿を確認する。よいしょ、とばかりに立ち上がったら膝が鳴った。

「どうした? 何かあったか?」
「見てみろよ。大秦の方の物だって。面白いよ」
「ほう」

 大秦と聞いて三奇も興味津々な眼差しで商品を見やる。
 見たことのないものばかりだが、その中の一つに三奇は無性に気を惹かれた。惹かれるままに、手に取る。

「オウ、お客さん目が高いね」

 商人が嬉しそうに言った。
 三奇が手にしたのは、円筒状のもの。表面は不思議な絵柄が施されていて、筒の両端は玻璃のようなものにふさがれている。

「底の方を上に向けて、中を覗くんですよ」

 言われたとおり円柱を太陽に向けるようにして片目を当てると、向こうの景色ではなく、色とりどりの不思議な紋様が現れた。

「回して御覧なさい。紋様が変わりますよ」

 三奇は感嘆の声を漏らした。
 回してみると、果たして筒の底の絵柄が次々と変わった。どれも美しく均衡を保ったまま、幾何学的な模様を次から次へと繰り広げる。

「これは面白い」

 感動して眺め回している三奇に、商人はにこにこと告げた。

「万華鏡と言って、底の方に仕掛けがあるんですよ。実は色をつけた欠片や玻璃の破片だとかをただ入れているだけなんですが、特殊な製法で貼り付けた鏡の効果でそういう風に見えるのです」

 なるほど、と頷く。値段を尋ねれば、西方の珍品にも関わらず意外にも高い価格ではなかった。
 その面白さと不可思議さに魅入られた三奇が飽きずに万華鏡を覗いている横で、四奇は珍妙な形をした、透明な玻璃製の壷を観察している。口首が筒状に細長く、下の方が円錐状に広がっている不思議な形。瓢箪型とも違う。

「ああ、それは西の方のお医者様が使われるもんです」

 その言葉に四奇がピクリと反応する。

「医者の道具?」
「ええ。まぁぶっちゃけると尿を採取する尿瓶です」

 ゲッと四奇が思わず手を離した。あ、と商人が慌てるが遅く、瓶はゴンと音を立てて思い切り台に落ちる。しかし幸い割れずにすんだ。

「ああーお客さん、気をつけて扱ってくださいよ。一応商品なんで」
「悪かったよ」

 謝りながらも、四奇の顔つきは微妙だ。何となく手がムズムズする。

「大丈夫っすよ、まだ未使用ですからね。しかし尿瓶だからといって舐めちゃあかんでさ。アチラのお医者様方は皆それで患者さんの容態を診察するんです。むしろお医者様の象徴ともなっているくらい大切な診療道具なんですよ」
「へぇ」

 未使用だと言われて少し安心した四奇は、もう一度持ち上げて見てみる。形以外は何の変哲も無い壷だ。
 面白いから華陀先生にでもあげるかな、いや待て下手にあげて俺で実験されても困る、などと考えていると、十分に堪能したのか三奇が四奇の方へ万華鏡を渡してきた。
 尿瓶はとりあえず置いておいて、四奇は三奇と同じように円筒を覗き込んで回す。「うお、すげー」と呟いた。

「な、これいいんじゃないか。値段も悪くない」
「いいな。これきっと驚くぞ」

 二人して楽しげに言い合う。

「贈り物ですか?」
「ああ。兄のな」
「それはそれは孝行な弟方だ。きっと兄君もお喜びになることでしょう」
「全くだ。きっと涙を流してよい弟を持ったと歓喜するに違いない」
「はは、よく言うよな」

 差し出した万華鏡が、綺麗な紋様を織りこんだ綿布に包まれるのを見て、ふと三奇が眉を潜めた。

「その布は……」
「ああ、いいんですよ。まぁこれも商品ですがね、こちらは私からの贈り物ってことで」

 おまけですと言う商人に、三奇と四奇は顔を合わせて、なんともいえない微笑をお互い浮かべた。


 日の下りかけた、秋の午後。
 金色に染まる街で出会った不思議な商人と、買った不思議な円筒。
 その日、万華鏡を渡すと二奇は予想通り喜色を満面にし、その様にまた二人で笑いあった。
 しかし、その後あの異国の商人を見ることは二度となかった。




「……殿。賈詡殿」


 ハッと賈詡は両眸を開いた。
 瞬きを繰り返す向こうに、長く見知った老年の同僚が立っていた。

「程……昱、殿」
「大丈夫か? こんな所で居眠りしていると風邪を引くぞ」
「……俺は眠っていたのか?」

 賈詡は自分の状態をまじまじと見下ろした。庇に出した背つきの椅子に腰掛け、手には―――あの綿布と、それに包まれた円筒を握っていた。
 ああ、そうか。夢を見ていたのか。随分懐かしい夢を。

「顔見がてら祝いに来てやったよ。三公就任おめでとう、賈太尉殿」
「三公、か……」

 賈詡は呟き、鼻で笑った。
 今や自分の地位は頂点に上り詰め、乱世も大方平定してきている。これまで歩んできた、長く険しい道のりを思えば、それなりに感慨深いものはあった。
 しかし任命を受けた時、賈詡の心は「何だ、こんなものか」と、どこか拍子抜けした。
 望んだことだったはずだ。なのに何かが違う。何かが欠落している。そう思えてならないことが、しばしばあった。

「あんたも衛尉復職おめでとう、兄弟」
「皮肉か? こんな老体だ。警護などと言っても実務はもう身体が言うことを利かぬ。名ばかりの職だな」

 そう言いながら程昱は老いてもなお強い光を宿す双眸をニヤリと細めた。二人で忍び笑いあう。
 老いた。老いた。血管の浮き出る自分の手を見るたび、白いものが多く目立つ自分の頭髪を鏡に見つけるたび、痛烈に思う。

「門を固く閉ざしているだけでなく、家からもあまり出ないそうだな。荀令君が逝ってから、随分ひどくなったんじゃないか? ……いや、郭軍祭酒が死んじまった時からだったかな」
「さて、な。特に外に出てすることもないだけさ」

 賈詡は高覧から遠く、赤銅に輝く夕日を眺めやった。

「皆、先に逝ってしまったからな。初期から仕えていた者の中で今残っているのは、もう儂やお前くらいだ。主公でさえ……な。儂らより若いくせに、儂らより先に逝きよる。我らは」
「いつも置いてけぼり、か。老人が泣き言を言い出したらキリがない」

 賈詡の受け答えは皮肉気ながら、ぼんやりとしていた。
 そうだ。皆先に死んでしまった。―――自分を置いて。
 何よりも愛した師兄弟達も、何よりも大切だった友も。今はもういない。
 欠落の理由を知っている。これは虚しさだ。

「多くの民の命が失われ、悲しみに、苦しみに喘いでいたというのに、それでも儂はあのころが一番懐かしいよ。最も命を謳歌して、皆の志が輝いていた。不謹慎なことだな」

 ふぅ、と疲れたように息をつき、程昱は首をゆるゆると振った。そこに、年月の影を見る。程昱がこんなことを漏らせる相手も、最早賈詡以外にはいないのだろう。戦友と呼べるものが、それほど残ってはいないのだ。

「そんなものさ。乱世と言うのは人の性と命を最も鮮烈に、強く脈動させる」

 賈詡は茫洋と呟き、そして手の内のものに目を落とす。布をゆっくりと開いた。
 見覚えのある、不思議な絵柄。時が経って大分汚れてはいるが、そのもの自体はあの時のままだった。

「それは?」
「万華鏡という。大秦の方のものだそうでな、随分昔に老四……郭嘉と共に、荀彧のために買ったものだ」

 それが何故今、賈詡の手にあるのか。程昱の目はそう言いたげだった。
 賈詡は無言で円筒を転がす。二奇が。荀彧が、死ぬ前に人伝に寄越してきた。きちんと布に包んだまま。相変わらず律儀な男だ。ずっと手元に持ち続けていたのか。
 彼は、最後に何を思ってこれを送ってきたのだろう。
 かつて賈詡は荀彧に、何故乱世に立って乱を鎮めるのか答えた。純粋に人民をこの苦しみの連鎖から救いたかった。自分の生きた証しを、残したかった。
 けれどもそれは、皆が隣にいるところで成し遂げたかったのだ。今ならそう分かる。彼らがいなければ、意味がない。

 沈み行く金色の夕陽に掲げ、固めで円筒を覗く。クルクルと回せば、小さな細片が様々に変化して色々な華を描いた。
 不意に、賈詡の耳の奥に鮮明な声がよみがえり、ハッとなった。

『贈り物ですか?』
『ああ。兄のな』
『それはそれは孝行な弟方だ。きっと兄君もお喜びになることでしょう』
『全くだ。きっと涙を流してよい弟を持ったと歓喜するに違いない』
『はは、よく言うよな』

 クルクル回る。万の華が咲く。金色の内に泡沫が浮かんでは消える。

「…泣いておるのか?」

 ふと、気づいた風に程昱が訊いた。

「さて、な」

 賈詡は夕陽を望みながら、ただ万華鏡を転がし続けていた。




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