龍吟ずれば雲起つ~2~




 戸の開け放たれた応接間に至り、衝立の前で参上を告げると、すぐに入室を促す声が返ってきた。
 室の中には、すでに父の郭昭がおり、二人の兄も背後に控えていた。父を挟み左に立つのが28になる長兄の郭誠、字は奉道で、右が24の郭仁、字奉元である。長男はすでに成婚して男女の子どもが二人おり、次男の方は今年婚約者と結ばれ新婚ほやほやだ。二人とも現在はこの郷の実家を出、それぞれ陽翟の府城に小さな邸を構えて、県廷にて代々の家業である法曹の官を勤めている。今日はわざわざ仕事を休んだらしい。
 彼らの前には儒者特有の、棕櫚色の裾長の衣に黒い幅広の帯を結んだ男がいた。足を踏み入れ、最初に眼に飛び込んできた人物に、郭嘉は瞬時に顔を輝かせた。

泰伯(たいおじ)!」

 声を上げて、呼びかけたその人に駆け寄る。さすがに歳を考えると昔のように抱きつくまでは至らないが、喜色満面で八尺もの上背を見上げた。
 間髪要れず横合いから「こら」と郭誠の叱責が飛んできた。

「はは、大きくなったな! だが中身は相変わらずだ、阿曉」

 飛びついてきた郭嘉に、五十がらみの男が大らかに笑い声を上げた。確か実際にはすでに還暦を迎えているはずだが、老いてなお壮健な容貌のせいか、年齢よりずっと若く溌剌と見える。

「嘉兒よ、無礼だぞ。大伯(おじうえ)と呼びなさい」

 伯父を諱で呼ぶ息子を、郭昭は眉を顰め窘めた。目上の者以外が他人の諱を口にすることは大変な不敬とされる。相手の身分如何によってはそれだけで手討ちにされてもおかしくないほどだ。
 だが泰伯と呼ばれた郭泰は気にした様子なく、むしろ磊落に言った。

「よいさ明徳。昔からずっとそう呼ばれていたからな、最早渾名みたいなものだ。私は気にしないよ」

 そもそもはその昔、郭嘉がまだ物心つく前のころ、「大」と「泰」の音が近しかったために混同して呼んでいたのを、その都度郭昭や兄らが正すのだが、当の郭泰が面白がって自ら「泰伯」と言うものだから、ついに定着してしまったといういきさつがある。
 郭泰が言いながら郭嘉に片目を瞑ってみせると、父に叱られて気まずそうにしていた彼はパッと笑顔になった。

「泰伯、いつこっちに来たんだ?」
「陽翟に着いたのは先週だよ。色々と会わなければいけない人間がいて、しばらく県城に留まっていたからこっちに寄るのが遅くなった」

 郭泰は同じ郭姓でも太原は界休の人である。
 そもそも郭氏の系譜は古く、春秋戦国以前にまで遡る。元は夏商の時に古郭国と、周の時に封じられた虢国とがあったが、この虢国の族人がその後東西南北に分裂、遷移し、うちの南虢と北虢の(すえ)が太原郭氏となり、東虢が潁川郭氏の祖となったという。秦の時には宗族は大いに増え、中でも太原郭氏が最大の勢力となった。郭泰はその一支である。
 このように太原の郭氏は潁川の郭氏とは元を辿れば祖を同じくするものの、現在においては血の繋がりはほぼない。ただ郭泰の場合、彼の妹が郭昭に嫁いでおり、すなわち郭嘉たちの母親の兄にあたるため、姻戚関係にあった。
 とうに世俗から退いた郭泰は官職につかず、今は各地を巡っては在野の賢を訪なったり情勢に関する情報を集め、水面下に網を広げている。

「今度はどれくらいいる?」
「七日ほど滞在する予定だ。場合によっては多少変わるかもしれないがな」

 長いとは言えない逗留に、郭嘉の表情が目に見えてがっかりする。郭泰は苦笑しながらその肩を叩く。

「すまない、少々面倒な用事があってな。その代わり土産もたくさん持ってきてやったぞ。そうそう、前お前が欲しがっていた“アレ”もな」

 こっそり耳打ちするように言うと、彼は一転して瞳をきらりと輝かせた。

「マジで?」
「おう、今回のはすごいぞ。何せ・・・・・・」
「何の話ですか」

 目を据わらせている父の存在に、伯父甥二人組は揃って姿勢を正しくし何事もなかった素振りをした。
 はぁ、と疲れたように嘆息して、郭昭は末息子に向かって言った。

「私たちは大伯とこれから大切な話がある。お前はまたあとでゆっくりと相手してもらいなさい」
「へーい」

 郭嘉は軽い身のこなしでひらりと身を返した。暇つぶしに城市(まち)にでも行くかな、などと口走れば、すかさず郭仁が釘を刺してくる。

「いつまでもふらふらと遊んでばかりいるんじゃないぞ。お前だっていずれは仕官するんだ。もっと品行に気をつけて真面目に勉強せねば斗筲の役(こやくにん)にしかありつけないぞ」
「別に位とか興味ないからいいよ。面倒なこと嫌いだしさ。せいぜい県廷の少吏くらいの職に給事して、平々凡々な暮らしができればいいなぁ。出世は兄上たちに任せた」
「三弟!」

 郭仁が困った顔で嗜めるも、郭嘉はけろりとした調子を保ちながら、肩越しに振り替えって微笑してみせた。

「城市には行かないよ。母上のところ行ってくる」

 その言葉に、そこにいた全員の顔がかすかに反応した。表に出さぬように努めているつもりで、隠し切れぬ戸惑いと気まずさが零れ落ちてしまった。それほど微細な違和感だった。
 一瞬凍りついた雰囲気に気づいているのかいないのか、郭嘉は後ろ向きのままヒラヒラと手を振り、衝立の向こうに消えていった。
 去っていく足音を聞きながら、郭昭は首をゆるゆると振りもう一度溜息を零した。

「許から戻って来てからも依然あのような感じで、このところ何を考えているのかますます掴めません。私学に遊ばせたはいいものの、全くこの先どうなることやら」
「いいじゃないか。まだ若いことだ、そう懸念することもなかろうよ」

 義弟の嘆きを、郭泰は笑って払拭しようとした。そこに、父と同じく困ったような怒ったような表情で更に言い募ったのは、郭仁だった。

「あいつ、いつもあんな風にやる気ないように振る舞うんですよ。昔から不真面目ぶるところはありましたが、最近はとみに怠けてばかりで。やろうと思えばできるはずなのに、一体何を諦めているのやら」

 郭誠も心当たりがあるのかこれに頷いている。
 郭泰は無言のまま、すっかり大人になった甥二人を見比べた。彼らは歳離れた病弱な末の弟をよく面倒見、可愛がっている。そして郭嘉も兄たちを心から慕っている。彼らの間に軋轢があるわけではない。だからこそなのかもしれない。郭泰が見るに、三兄弟の中で最も抜きん出ているのは間違いなく末の弟だろう。
 いや、兄弟の中というだけではない。
 彼は、あるいはこの国の中においても、いずれ一廉の人物となりうる可能性を秘めている。その才華は幼いころからすでに片鱗を見せていた。
 あの頭にはやがて森羅万象をも読み解く叡智が溢れるだろう。彼にはこの郷はあまりに小さい。これは何も身内贔屓ではない。長らく人を鑑定し続けてきた郭泰の眼だからこそ、直感的に確信できることだった。
 しかし原石は、磨かなければ路傍の石くれと変わらぬ。
 聡い郭嘉のことだ。若いなりにも己の能力を把握しているのはずである。だからこそあえて封じる。そこには兄達を立てたいという想いがあるのだろう。そのためなら、自分はその他と同じく凡庸な一生で構わないと思っている。
 それは兄を慕うがゆえの心理であろうが、同時に何かを恐れての本能的な逃避であるように、郭泰には思えた。

「私たちが言っても、きっと聞く耳を持たないでしょう」
「お前に似て頑固だからな」

 そういうと、郭昭はふと苦笑気味ながら目元を緩めた。
 郭仁はここぞとばかりに勢い込んで言い募った。

「あれは大伯に懐いています。大伯から説得されれば、考えを改めるかもしれません。よろしくお願いします」
「さほど案ずることもないと思うがなぁ。一応の努力はしてみよう」

 郭泰はのんびり顎を撫でながら、切実に見つめてくる義弟親子の眼差しに鷹揚と頷いてみせた。

「ところで、京師(みやこ)の方は今どのような様子ですか」

 にわかに声を潜めた郭昭に、郭泰は目を伏せ嘆息交じりに首を振った。

「良くはないな」

 彼は義弟と甥たちに見聞してきた長安、洛陽とその周辺の有様や、各地の農村の荒廃ぶりを語って聞かせた。
 郭昭を初め、郭誠も郭仁も表情が曇っている。今まだこのあたりは穏やかなものだが、いつ余波が襲ってくるか分からない。

「古来交通の要所である許はもとより、すぐ傍のこの辺りも最早安全ではない。事が起きれば真っ先に争いに巻き込まれることは必定だ。できるだけ早く移動した方がいいだろう」
「最早流れは止まりませぬか」

 無理だ、と郭泰は重々しく唸った。

「一度転び始めたら最後だ。これから世はどんどん乱れゆき、遠からず戦乱の時を迎えることとなろうな。これほど病が膏肓に入ってしまえば、漢室はもう終わりかもしれん」

 辺りをはばからない発言に、郭昭が慌てて制止した。

「林宗殿、そのようなこと万一にでも人に聞かれたら・・・・・・」
「ははは、“死人”が何を言おうと構わんだろう」

 顔を青くする義弟に対し、郭泰はいっそ豪快に笑い声をあげた。
 死人。そう、郭泰はすでに死んでいる。死んでいるといっても、足はちゃんと二本あって歩けるし、飲食するし、心の臓も動いている。
 “死んだ”というのはすなわち、世間的な話だった。

 郭泰―――林宗という字の方でよく知られる彼は漢でも名士中の名士であり、知識層、特に清流派と呼ばれる文人たちの間では知らぬ者はない。その逸人ぶりは、貧賤の出ながら学問に長じ、洛陽に遊学するや河南尹李膺の覚えめでたく、貴賎を超えて深く親交を結んだことで知られる。また彼の帰郷に及んでは黄河の畔に多くの士大夫や儒生らが見送りに押し寄せ、数千両の車が連なったという逸話があるほどである。そのほか蔡邕や荀爽といった、これまた大人物らと誼を結んでおり、要するに超のつく著名人なのであった。

 才覚は元より、明朗とした性格や義侠肌なところも慕われる所以だが、最も優れているのがその『眼』だった。洞察に長け、こと為人を判じるにかけては随一、昨今人物鑑定で名高い許劭にも匹敵する名手である。しかし許劭とは異なり人を貶めることを言わないことも、高く評価されていた。そのため各方面からしきりに仕官の誘いがあったが、郭泰は悉く断った。果ては朝廷から高位を約束する推挙の話が来ても固く辞退した。つまるところ彼は生まれてこのかた一度も仕官していないことになる。周りにそれだけの才を持ちながら何故と問われても、郭泰は笑いながら「柄じゃないのでね」と答えるだけだった。元々煩わしいことが嫌いだと言う気質もあるが、郭泰は早くから政情の不安を感じとり、誰よりも早く朝廷を見限っていた。

 しかしそんな風にのらりくらりとかわしていても、仕官話は後を絶たない。仕舞いには脅し半分の招聘まで現れる始末。
 そこで郭泰はいっそのことと、大胆な行動に出た。なんと自らの病死を自演してみせたのである。42歳の時のことだった。
 妻子のない身だからこそできたことであろうが、実に郭泰らしい突飛な発想である。
 もちろん心許した朋友たちは皆知っており、彼の一世一代の狂言に協力してくれた。盛大な葬儀を催して世間に大々的に喧伝し、政界の大物をはじめ千人以上が参列した。蔡邕に至っては面白がって大袈裟なまでに美辞麗句を駆使した文章を作って石碑に刻んだものだから、大変な効果になったらしい。これを聞いた時、郭泰は「さすが我が智伯よ」と笑ったものである。

「おかげでここ20年足らずは実に快適だぞ。どうだ、お前もいっちょう死んでみないか?」
「そんな豪胆な思い切りができるのは林宗殿くらいです」

 郭昭はほとほと疲れ果てた声音で告げた。
 郭泰の宗族もみなこの狂言葬儀を知っている。当初はもちろん宗家総出で反対の大合唱だったが、そもそもその程度で意思を曲げる郭泰でなし、自ら強引に段取りを組んでしまえば最終的には宗家も頷かざるをえなくなった。しかもこういう外聞に関わることにかけると一族の結束は国への忠義よりも固いので、漏れ出でる心配はない。万一誰かが漏らしたとしても口裏を合わせてくれる同胞はそれ以上に多いし、たとえ通りで顔見知りに見咎められても“親戚”の空似で通せばよい。何よりここまで大掛かりに鬼籍入りを果たしてしまった者を、今更どうこうしようと言う方が面倒であり、誰もが諦める。
 郭昭も最初に郭泰が死んだと聞いたときは度肝を抜かれたものだ。病などとは全く聞いていなかったし、実際その一月前に元気な姿で会ったばかりだったからだ。しかし悲しむ間もなくそのまた一ヶ月のちにその当人がしれっと現れたのだから、今度は度肝どころか心魂まで抜けそうなほど仰天した。
 ひとしきり笑ってみせた郭泰は、ふと視線をどこへともなく滑らせた。

「ところで、“あれ”は息災か?」

 それだけで何のことか、聡い義弟には分かるだろうと踏まえての台詞だった。
 案の定郭昭は瞳に一瞬だけ何とも言えぬ色を宿してから、静かに頷いた。

「相変わらず寝たきりですが、ここのところ調子は落ち着いていて、時折外に出たりもしますよ」
「そうか」
「許から戻ってから嘉兒がよく面倒を見てくれているおかげかもしれません。分からずとも、やはりどこかで安心するのでしょう」

 溜息のような郭昭の言葉に、郭泰は視線は遠くにやったまま、物憂げに眼差しを細めた。
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