龍吟ずれば雲起つ~3~




 さほど大きくはない邸でも、それなりの敷地と室の数はある。邸は伝統的に口の字を描いて四面が向かい合わせになっており、各棟の前後左右に蔵や離れなど小さな屋がある形だ。
 客間を出た郭嘉は、狭い回廊を伝って北に位置する一室まで足を運んだ。
 邸の北側は高い垣と木々に隔たれ外からは見えないようになっている。そこには小さいながら品の良い庭院があった。季節折々の草花が植えられ、春には一本梅の甘い香に満ちる。
 その外庭に面する端の室。今は開放され、明るい日差しと緩やかな風が自由に出入りしている。
 そこに、郭嘉は先触れも告げぬまま、慣れた足取りで入った。

 室内は黒檀に文様をあしらった揃いの調度品が置かれ、格調高い置物や飾りなどから室の持ち主が屋敷の中でも高い身分にあることが知れる。
 そんな室の奥の牀台に、一人の女がいた。
 上体を起こした形で身を休めている。細い身体に透かし刺繍の入った淡い色の単を纏い、夏らしい薄藍の上衣を肩にかけている。肉が落ちて尖った頤が、軽く上を向いていた。窓から入る日差しがその横顔の輪郭をなぞり、痩せ衰えた姿をなお楚々と清らかに見せた。しかし瞳はぼんやりと虚空に向けられている。郭嘉が入って来た物音も聞こえていないかのように、微動だにしない。

(ははうえ)

 郭嘉は牀台の端に腰掛け、静かに声をかけた。
 もどかしいほど時間をかけて、のろのろと首が動く。透き通った玻璃珠のような二つの眸が、目前の像を映し、やがてゆっくりと微笑んだ。

「こんにちは。どちらさまだったかしら?」

 たどたどしい仕草に反し、話す口ぶりは落ち着いた婦人のそれだった。
 郭嘉は目を細めた。もう幾百幾千となく繰り返された問いに、いつもどおり何千回目とも分からぬ答えを返す。

「貴方の息子の嘉だよ、母上。今日は加減がいいみたいだね」
「あら貴方、来て下さったのね」

 にこりと、少女のように無邪気に微笑んだ。しかし果たしてこちらの言葉を解しているのかは怪しい。
 すでに中年に差しかかったこの女性こそが龐珋(ほうりゅう)、すなわち郭昭の妻にして郭嘉と郭瑛の生母である。
 上二人の兄は亡き先妻の子で、郭嘉たちとは実際には異母兄弟にあたった。

「ずっとお見えにならなかったものだから、珋は寂しゅうございました」

 そう言って、彼女は郭嘉の左手を取り、両手で愛しげに撫でた。
 また夢に見たのだろうか。一度も外に出ておらぬ身でありながら、どこの街が楽しい、どこの景色が美しい、今度一緒に行きましょうねと語る母は、無垢な乙女のようにあどけなく、瞳を輝かせていた。息子へというよりも、まるで恋い慕う者を見るに似た眼差しを注いでくる母に、郭嘉はなお微笑したまま、静かに相槌を打つ。何度も繰り返されてきたやりとりは、もはや儀式のようなものだった。
 龐珋が細く白い腕を伸ばしてきた。身を寄せ、素直に抱きしめられる。それもまた母が我が子を抱くというようではなく、愛しい相手に対するものに近かった。
 痩せ衰えた母の腕に抱えられながら、複雑な思いを心に宿しつつ、郭嘉は瞼を伏せた。






 龐珋が眠りにつくのを見届けてから室を出た郭嘉を、龐珋の世話役である姜玉(きょうぎょく)と、いつの間に来ていたのか郭瑛が、何とも言えぬ面持ちで待っていた。

「どうしたんだ、二人して」

 郭嘉は何ということもない様子できょとんと瞬いた。それが余計に彼らの気持ちを重くしたようだ。

「坊ちゃん。あの、奥様は・・・・・・」
「今は眠っているよ」
「左様ですか」

 ホッとしたような、素直に喜べないような、曖昧な色を乗せながら、それでも姜玉は必死に気遣う調子で答えた。

「坊ちゃんが戻って来られてからというもの、奥様はお顔色がよくおなりになったのですよ。坊ちゃんとお会いするのをとても楽しみにしておられるようです」
「そっか。それは良かった。こんな俺でも、少しは親孝行できてるかな」
「少しだなんて! 坊ちゃんほど孝行な御子はいらっしゃいませんとも」

 大袈裟なまでに驚き反論した姜玉は、はっとして郭瑛を掠め見、大声を出した己の身を恥じた。
 郭嘉はハハハと明るく笑う。

「ならいいんだけど。姜大姐にも母の世話で色々苦労をかけてるだろうけど、これからもよろしく頼むよ」
「そんな。私などには勿体無いお言葉です」

 ぽん、と恐縮して腰を折る姜玉の肩を叩くと、郭嘉はぶらりとした足取りでその場を辞す。後ろから、黙ったまま郭瑛がついて来た。
 しばらくしてから郭嘉は不思議そうに振り返った。

「どうしたんだ、瑛。えらく静かじゃないか」
「私が黙っていたらおかしい?」

 郭瑛は唇を尖らせた。それから、不満を垂れる風にぶつぶつと零す。

「兄様を尊敬するわ。私にはどうして兄様がこんなにも親身に(かあさま)に接せられるか分からない。私なんて、どんな顔して娘と会えばいいのかすら分からないんだもの」
「そんなこといって。生みの母親じゃないか」
「分かっているわ。でも、娘は・・・」
小妹(シャオメイ)

 郭嘉は足を止めて、郭瑛を振り向いた。びくりとして立ち止まった妹に、安堵させるように淡く微笑みかけて、両肩を掴む。

「確かに俺たちの母上は他の人とは違う。けれど母上だって、なりたくてああなったわけじゃないんだ。あまり敬遠してやると可哀相だろ。どんな風になっても、十月十日俺達を抱えて、腹を痛めて生んでくれた母さんには変わりないんだから」

 郭瑛は口を閉ざしうつむく。郭嘉は苦笑した。

「お前の気持ちも分かるよ。母と(むすめ)ってのは、母と(むすこ)よりもずっと複雑な想いが絡むもんだろう。だから本当にきついなら、無理してまでどうかしようと思わなくていい。娘のことは俺に任せてくれればいいよ」

 自分を慮ってくれる兄の言葉に、郭瑛は視線を逸らしたまま是とも否とつかぬ曖昧な反応を返した。
 郭嘉にも妹の葛藤は理解できる。顔を合わせる度に、己の子どものことすら忘れ名を問う母に対し、全く何も感じないわけがない。幼いころはそのごとに、子ども心にえもいわれぬ痛みを覚えた。臓腑が締め付けられるようだった。郭瑛が精神的に耐えられないと思う気持ちが分からないはずがなかった。
 それでもなお郭嘉が母を訪い続ける理由は、正直本人にもよく分からない。ただ家に戻ってから毎日母を見舞い、夢語りのような話を聞くのが日課になっている。まるでそれが義務であるかのように。
 どちらともなく無言になって、漂い始めた重い空気を、よく透る明るい声音が打ち破った。

「どうした。二人揃って、通夜みたいな顔をして」

 回廊向こうからやってきたのは、郭泰だった。父達との話し合いは終わったのだろうか。

「泰伯」
「大伯!」

 郭嘉は笑みを、郭瑛は驚きと喜びを乗せて、それぞれ呼びかける。

「お客様がいらしてるって聞いていたけど、大伯のことだったのね」

 郭瑛は心底嬉しそうだった。彼女も郭泰のことは気のいい気さくな伯父と、小さいころから懐いている。

「おお、もしかして小瑛か? これは見違えたぞ。昔のあのお転婆娘とは思えん」

 久方ぶりに目にした郭瑛の成長振りに、郭泰は眩しそうに目を細める。もう、と郭瑛は憮然とした。

「よしてよ、小さい頃の話を持ち出すのは」
「悪い悪い。だが何せ私はお前達がオシメつけていた頃から知っているから、どうしても比べてしまうんだよ。歳だなぁ」

 顎をなでてそう笑い、郭瑛の頭をポンと叩いた。

「しかし本当に大きくなった。これではもう小瑛とは呼べないかな」
「大伯にとってみれば瑛はいつまでも子どものままでしょ」

 耐え切れずつい唇に苦笑を滲ませ、郭瑛は大きな叔父を仰ぐ。郭瑛の記憶の中の郭泰はずっと変わらない。いつまでもいなせで精悍で、すべてを包み込むような暖かい懐を持った、自慢の伯父だ。

「呂媛から聞いたぞ。今晩は瑛兒が腕を振るってくれるそうだな。楽しみにしているからな」

 これを聞くなり郭瑛は血相を変えた。うろうろと視線を泳がし、思い至ったように乾いた声を上げた。

「あら嫌だ、私裏から漬物持ってくるように言われていたんだったわ。それじゃ大伯、兄様、またあとで!」

 ぺこりと頭を下げると、裾を持ち、そそくさと2人から離れる。

「ううむ、淑やかな娘子(じょう)に成長したと思ったが、まだまだだったか」

 大慌てで逃げ去っていく姪の後姿に、郭泰が再び顎を撫でながらしみじみと呟くのを聞いて、郭嘉は噴き出した。

「あれくらい元気な方が俺は安心だけど。それよりも泰伯、父上や兄上たちとは話は終わったのか?」
「ああそうだった。お前に土産を渡そうと思って持って来ていたところでな」

 室にいなかったのでまだこちらの方にいるかと思った、と続けた。郭嘉は満面喜色に染める。
 一目散に自室に向かう背に苦笑を投げて、そのあとを追う。
 卓の上に積まれた累々を目にして、郭嘉はいそいそと手に取り紐解く。心底嬉しそうだ。

「こういうのが欲しかったんだ。泰伯ありがとう」

 郭泰も満足げに頷いた。以前会った時に頼まれていたのだ。

「しかしお前も物好きだな。諸子だとか七経ではなく、わざわざ名の知られてない書物を欲しがるとは」

 郭嘉は目は木簡に釘付けのまま、肩を竦めた。

「経史の類は県校や私学で散々やったしね。大体なんか物足りないんだよ。書いてあることはそりゃあ勉強になるんだけど、読み続けてると釈然としないところがあったり、どれもこれも言ってることが似たり寄ったりで面白くないっていうか。それよりも、もっと刺激的な論説とか、新しい視点で語ってるやつが見たくなったんだ」
「こいつめ、いっちょまえに言う」

 郭泰は小生意気な頭を小突き、太く笑った。

「そう思って、無名の著者ばかりだがそこそこ評判の物を集めてきたぞ。しかし、兵法書は良かったのか。好きだったろう?」

 郭嘉は一瞬沈黙した。首を振って、いいんだと呟く。

「兵法書は、いい」

 気のない微笑を浮かべた表情は、憂い気で、若さにそぐわぬ翳りを宿している。郭泰はその影が気にかかったが、問いかける前に郭嘉がすぐさま目の前の書物に没頭したため、機を逸してしまった。
 一転爛々としている甥に、郭泰は眦を下げながらも、苦い笑みを滲ませた。

「そんなに学が好きなのに、どうして嫌いなふりなんかするんだ」

 静かな問いに、郭嘉は郭泰の顔の上にぴたりと視線をとどめた。

「こういう風に隠れてこっそり勉強する必要はないだろうに。彼らだってお前の気持ちを知れば喜ぶはずだぞ。本当はもっと私学に、あるいは太学や鴻都門学に通いたいのではないか?」

 大方の男児ははじめ郷里で教育を受ける。郭濂郷を含め、各郷には(しょう)という識字などの基礎的な初等教育の場があり、郷人は8歳ごろから通い始めるのが普通だ。また一定水準の家では、教師を雇い早いうちから子どもたちへの教学を始めている。

 そうして15歳にもなると、庠を終えて学問をやめ働く組と、郡国学(官立の中高等学校)や私学(私立校あるいは私塾)に上がる組に分かれる。郭嘉や兄の郭誠、郭仁らも例にもれず、許にある私学に通った。そこでの成績優秀者や希望者は更に長安にある太学や洛陽にある鴻都門学に進むこともできた。尤も、貴族子弟の多い官学より貴賎人種問わぬ私学の方が昨今は人気が高いが。
 物言わぬ甥に、郭泰は成長してもなお昔の面影を残す顔立ちを静かに見つめた。

「それとも兄貴たちに気を遣っているのか」

 この甥は物心つかぬ時分から病弱ではあったが聡明な子どもだった。遅めに生まれた子であったから、庠に上がるまでは、官を辞して邸に戻っていた郭昭が直に教えていたが、ゆえに逸早くその才華に気づいたのだろう、是非に診て欲しいと請われ訪れた郭泰は、一目見た瞬間からこれは類稀な童子だと看破した。相面(にんそうみ)ができるというわけではないが、幼子の顔つきと瞳には生来のまっさらな性が現れるものだ。
 以来、郭濂郷を訪うことがあれば郭泰は自ら彼に色んな事を教えた。とはいえ学問的なことは郭昭がほとんど教え込んでいたから、郭泰は人間の見方だとか物事の読み方、あるいは博打、女との駆け引きなど、もう少し世俗的で実践的な部分を伝授した。

 ところが成長するにつれて、郭嘉は姿勢を変えた。傍目から見て遊んでばかりいるようになったのだ。
 たとえ生来の性が賢人のそれでも、環境によってねじれていくこともある。郭昭の家に限ってそのようなことは考えがたかったが、心配になって一度見に行ってみた郭泰は、今度こそはっきりと確信した。
 遊び呆けている風の甥は、郭泰の眼には、甘やかされて育ったどうしようもない放蕩息子には映らなかったのである。

 通常は庠を終えてから郡国学なり私学なりに通うところ、郭嘉は13で許の県校に遊学した。それを薦めたのは郭泰である。一見、友人らと遊び呆けて不真面目な郭嘉が、その実すでに庠の教学水準では物足りなくなっていたのを看破したこともあるが、何よりの理由は、彼を家族のもとから離した方が良いと―――もう少し広い世界を見せてやった方がいいと思ったからであった。

「お前は昔から絶対に兄貴たちの前に出ようとしなかった。どんな時だって、弟として兄さん達を立てようとしていた。確かに弟が兄を立て、息子が父を立てるのは、孝悌の道として正しい。けれど、お前は一生そうやって自分を殺して生きるつもりか?」
「別にそんなんじゃないよ。本当に。兄上たちに遠慮しているわけじゃない」

 やや咎め立てるように訊けば、郭嘉はようやく口を開いて答えた。しかし本心からなのか、それともまだ装っているのか、判じがたい声音だった。

「ただ面倒なことが嫌いなだけだ。泰伯だってそうだろ。だから一度も仕官しなかったんじゃないの?」

 痛いところをつかれ、郭泰は口をへの字に曲げる。だから自分に説得役など勤まらぬのだと、心中で義弟に文句を言った。

「・・・・・・それにさ」

 不意に郭嘉は目を逸らした。何か言いたそうに口を開閉し、唇を塗らす。

「俺、怖いんだ」
「怖い? 一体何が怖いんだ?」

 ゆっくりと慎重に言葉を捜しながら、彼は口を開いた。

「俺は、官吏にはきっと向いてない。どうやっても皇帝に忠誠心なんてこれっぽっちも持てないし、それに・・・・・・多分、俺じゃ能吏にはなれないと思う」
「どうしてそう思うんだ」
「一番読んでて楽しいのが兵法書だから」

 その示唆する意味が、郭泰には一瞬分からなかった。しかしそれが先ほどの翳りと関係していると直感的に察すると、黙って話の先を促した。

「昔の色んな戦の記録を眺めてると、段々、どう兵を動かせばもっと効果的に勝てただとか、どんな策を使えば相手の上手を取れただろうとか、自然と浮かび上がってくるんだ。まるで映像みたいに鮮やかにその情景が見える。様々な状況を空想してわくわくする。でもふと現実に返って、怖くなるんだ。人間の死生がかかってる戦を楽しんでいる自分に気づいて、すごく恐ろしくなった」

 郭嘉は部屋の隅の書棚に積まれた冊書たちを見やった。それはどれも硬く紐に縛られ、上には薄く埃を被っている。封印してるのか。咄嗟に郭泰はそんな印象を抱いた。

「想像の中での話だろう」
「でもそういう気持ちがあることには変わりないんだ。俺は、心のどこかで戦に焦がれてる。他のことにはこれほど頭が働かないのに。もしも足がかりを見つけたら、一足飛びに戦場に向かって駆け出す気がする。もしかしたら俺は乱世でしか役立てないのかもしれない。官吏が戦乱を望むなんて、本来あっちゃいけないだろ。俺は自分が、他人を駒として見るような、そんな人間じゃない存在になるような気がして、怖いんだ」

 静かな眼差しだった。けれどもその奥に、必死に縋り付くような色を、郭泰は見て取った。

「だから俺はこのままでいいんだ。仕官とか出世とか、大きなことは考えない」

 彼は己を恐れている。自分が人ならぬものになるのではないかという恐怖。
 しかしそれは若さゆえの幻惑であり、杞憂に過ぎないと、彼の性格をよく知る郭泰は力を込めて言ってやりたかったが、今の郭嘉には気休めにもならないと悟り、代わりに肩を優しく叩いてやった。

「私はお前はそんな人間にはならないと思うがな。なあ阿曉、焦って結論を出そうとするな。お前はまだ若い。色々思うところもあるだろう。ゆっくり時間をかけて、自分の道を見つければいい。だが、いくら父や兄を思うからといって、あまり心配をかけるな。それでは本末転倒であるし、今の行動がただ現実から逃げているだけだと、自分でも分かっているだろう?」
「うん・・・・・・」

 素直に頷きながらも、悄然と郭嘉は項垂れた。
 その姿を見下ろしながら、彼の中に他にある口に出さない懸念の存在を、郭泰は敏感に感じ取っていた。






 あとで一緒に書を読もうと約束してから、一度室を離れた郭泰は、再び先ほどの回廊に足を向けた。
 開け放たれた室の前にしばらく佇む。物思う風に呼吸一つおいて、敷居を跨いだ。
 室の奥で、安らかに眠っている龐珋の牀台に腰掛ける。以前よりもずっと痩せた青白い寝顔を、辛そうに見つめた。
 起こさぬように、音を立てぬよう腕を伸ばし、そっと冷たい頬に触れる。そこには在りし日の瑞々しさはなく、乾いた手触りだけが返ってくるが、不思議と郭泰にはかつて触れた感触をまざまざと思い起こせた。

「瑛は、お前によく似てきたな」

 囁くように、郭泰は吐息を漏らした。

「お前の娘だものな。きっとこれからもっと美しくなるだろう。気立てもいいし、お前みたいに良い縁を組んでやればきっと幸せな家庭を築けるだろう」

 ゆるゆると頬を撫でる。額に零れた後れ毛を優しく払って、梳いてやる。龐珋はよく眠っているようで、気づく気配はない。郭泰は以前よりもずっと皺の増えた双眸を、慈しみに細めた。

「そして阿曉も。歳を追うごとに似てくるように思うよ。・・・・・・これは業かな。なぁ小妹よ」

 答える者のない問いは、空中に淡く溶けていく。
 その中で龐珋の面差しだけが、時が止まったように儚く、純朴に輝いていた。
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