龍吟ずれば雲起つ~5~




 ゆったりと剣先が曲線を描く。
 流れるような仕草に薄緑の袍の袖が揺れ、歩に合わせて水色の裾が翻る。
 そこに、背中あわせに身を寄せ、重なりあうように、淡桃の衣が舞う。緩やかながら全身を使う勇ましい舞踏に対し、こちらはあくまで上体のみを優雅に動かしたおやかな型をなぞる。そして二人舞から外れたところに、黄と新緑の絹に身を包み、供物を捧げ持って儀礼的な動きを踏む人物がいる。
 彼らから少し離れた後方では、複数人が整然と並び屹立していた。
 静かな足踏みと共に、決して激しくはない流水の舞が収束すると、どこからともなくほう、と陶然とした溜息が零れ落ちた。

「前に比べて大分よくなってきたな」

 外れで腕を組み観察していた老齢の男が頷いた。

「だがまだ動きが合わん。白華、反転で一呼吸遅れているぞ。手もまだまだ硬い。それから阿曉、後半になるにつれて型が崩れがちだ。白華と呼吸を合わせろ。小慧はもっと集中しろ。足元が覚束いてないぞ。簡単な動きだからといってぼんやりするな」

 それぞれへの指導の声に、三者三様返事をしたり俯いたりする。

「よし、ではしばらく休憩だ」

 パンッと拍手一つ、それを合図に固まっていた若者たちはにわかに脱力し、各々に持ち場を離れた。
 郭瑛はふう、と疲れた溜息を一つ零し、手巾でそっと額を拭った。それほど激しい動きではないのに、一通り流すとどっと疲れる。緊張とこの炎天下のせいで汗が止まらない。
 それから振り変えて、同じく顰め面で汗を拭っている兄を呼ぼうとし―――

「阿曉哥」

 横から押しのけるように、さっと人影が遮った。
 郭瑛の眦がむっとつり上がる。

「お疲れ様でした。とっても素敵でしたわ」
「そうかな?」
「ええ、ついつい見惚れてしまって、先生に怒られてしまうくらい。あら、やだ阿曉哥、酷い汗。どうぞお使いになって」

 しなを作り、薄紅の刺繍入り手巾を差し出すのは王小慧だ。両耳の上で丸髷を結い、花飾りを指して、細かく分けた三編みを背中に垂らしている。少し吊り気味の目尻とふっくらとした唇に薄く紅をさして、いつも以上の念入りようだ。今日が初の全体稽古なものだから、気合いを入れたに違いない。媚びるように見上げる仕草がいかにもわざとらしく、郭瑛は心の中で舌を出した。

「ああ、ありがと」

 やや疲れ顔の郭嘉は、微笑んで礼をいい、巾に手を伸ばす。
 そこへすかさず郭瑛は割り込んだ。ばさりと大きな綿布をきょとんとする兄の頭へ被せる。

「兄様、家から大きいものを持ってきたからこっちを使って。それからずっと日に当たってたら身体によくないわ、あっちの木陰で休みましょ。小慧、ありがとう。でも折角の綺麗な手巾を汚しちゃ悪いからとっておいて」

 郭嘉の背を押しやりながら、郭瑛は首だけを回しつとめてにこやかに王小慧へ言った。王小慧の面が忌々しげに歪むが、すぐさま微笑にすり替えた。

「あら、遠慮しなくてよろしいのに。そうだわ阿曉哥、私甘いお菓子を持って参りましたの。疲れた身体によく効きますわ」
「お菓子なら私たちも家から持ってきているのでどうぞお構いなく。余分にあるから、良ければあなたにも差し上げるわ、小慧」
「白華、私は阿曉哥に話しかけてるのよ」

 さすがにこめかみをひくつかせ、しかし唇は弓なりのまま王小慧が郭瑛へ言う。

「兄様はお疲れなの。少し休ませてさしあげて」

 こちらも笑顔を保ったまま、目が笑っていない。
 郭嘉は布で汗を拭きつつ、どうしたものかと天を仰いでいる。
 それらを遠巻きに眺める衆は、羨むというより、各々に『女って恐い』と胸中で密かに漏らすのだった。

「こらこら瑛」

 さすがに苦笑して、郭嘉は妹の頭に手を置き窘めた。それから勝ち誇った表情の王小慧を見やり、

「小慧、悪いな。今ちょっと夏バテで胃の調子がよくなくてさ。でも気持ちは嬉しいよ、ありがとう」

 莞爾と礼を言い、「あ、阿玄に阿寛」と男友達の集まる一角を見つけてそちらに向かってしまった。
 それを半ば呆気と見送った王小慧は、にわかにキッと郭瑛をにらみつけた。

「ちょっと白華、邪魔しないでよ」
「え、何のこと?」

 すっとぼけてホホホと口を覆ったかと思えば、すぐさま負けじと睨み返す。

「あんたこそいい加減にしてよ。人の兄に色目使ったりして」
「どうしようとあたしの自由でしょ。あんたに指図される覚えはないわ」
「するわよ。妹だもん、当然でしょ」
「何がよ。あんた、そうして将来阿曉哥が細君を迎える時も口出しする気? あんたのせいで娶嫁できないなんて可哀想な阿曉哥」

 横目で蔑みの眼差しを投じながら、王小慧が口許を袖で覆い痛烈な舌鋒を喰らわせた。

「! そんなこと!」

 カッとなった郭瑛は、しかしその瞬間胸を襲った大きな動悸に咄嗟に口詰まった。どくんと心の臓に痛みが走る。放たれた言葉から与えられた驚愕で喉に声が張りついた。

 ―――兄様の細君?

 その詞が持つ響きに、慄然とする。
 当然だ。兄とてもう18。郭瑛同様、そう遠くない未来にどこかの家の娘を娶ることになるだろう。それなりの家柄であり、五体満足で将来有望な男子が、成婚しないという選択などありえない。
 そんな当たり前のことを、忘れていたわけではない。親友がそうなればいいと思ったことさえあるはずだ。なのに今更、その現実を突き付けられてうろたえる自分がいる。
 郭嘉もいつかは嫁をとる。その時、自分はどこまで受け入れられるだろうか。
 郭瑛は狼狽した。何より衝撃を受けている自分自身に愕然となった。
 小慧は郭瑛の受けた動揺の深さに気づかなかったか、単に言い負かしたと留飲を下げ、追い打ちをかけるように顎を上げ高くから見下した。

「今回の嫪娰様はとんだ小姑だことね」

 鼻先で嘲笑い、硬直している郭瑛の横を通り過ぎていく。
 後に残された郭瑛は、依然心身を強張らせながらも、あることに気づいてしまった。擦れ違いざまに掠め見た王小慧の横顔。そこにはツンと頑なに澄ましながら、こころなし苦しげであり切なげな、水晶にも似た硬質の煌めきがあった。それと同じものを、どこかで見たことがある。
 ああ、そうだ。卞貞姫の瞳にも、あの透き通った光が宿ってはいなかったか。
 ちくりと痛みが走り、小さな穴からじわりと水が滲みだす。その水の名を、郭瑛は知っている。
 これは親近感による憐みと、悪いことをしたという悔悟だ。
 何に対しての思いなのか、何故王小慧に同情を寄せたのか。

(小慧は、本当に兄様のことが好きなんだ)

 彼女の媚びるような一挙一動も、精一杯の健気と努力の裏返し。彼女は彼女なりに必死だったのだ。
 休憩終了と稽古再開を告げる老爺の声が響いても、郭瑛はしばらくそこを動かずにいた。
 汗はすっかり引いてしまっていた。






 見送りに出た姿が小さくなるまで、首をねじり馬上から手を振る。
 古い友の家を辞した郭泰は、正面を向き直り小さく息を吐いた。
 こうして各地に散らばる信頼のおける同胞らを尋ね歩いてすでに十年以上が経っている。その都度感じるのは、状況は水が染み込むようにじわりじわりと悪化の一途をたどっているということだった。朝廷の腐敗は進み、甘酸っぱい腐臭まで感じられそうなほど深刻となっている。長きに渡って漢の王室を支えてきた柱はとうに朽ち果て、基盤は傾きつつあった。
 潁川に暮らす親交の深い荀家や陳家も、みな火の粉を避けて各地へ身を潜めつつある。

『有道、もはや漢は終わりだよ』

 号で呼び、そう哀しみの嘆息とともに吐露したのは荀爽だったか、亡き陳寔だったか、それとも蔡邕だったか。いや、皆が口にしたのかもしれなかった。誰もが同じ考えを胸に抱いていた。

『乱世が英雄を生む。戦乱を終わらせる覇主は早くも出始めている。あとは彼らに任せるほかあるまいよ』

 首を振り、諦念を滲ませ、そう言って皆ふつりと口を閉じた。
 官吏として信義を貫き忠誠を尽くしてきた彼らには思うところも多いだろう。終に朝廷に出仕することのなかった郭泰には、彼らの胸内は想像することしかできない。
 死人となって世の縁を立ち切った郭泰にできることは祈ることだけだ。人々ができるかぎり悲しまぬように。
 甥を思い浮かべる。早熟で賢すぎる彼は、一体この世をどう生きるだろう。
 しかし心配をせずとも、彼は一人ではなく、周りには頼れる者がいる。とくに父親である郭昭は大きな男だ。もし太平の世ならば、このような片田舎に隠居しているべき人物ではない。
 同じ郭姓でも、郭泰は太原郭氏の系譜に連なり、自身は貧しい家に生まれた。一方、郭昭は傍系とはいえ世世大官を排出してきた由緒正しい潁川郭氏の流れである。郭昭とは、まだ彼が都で官吏をしていた時分にたまたま知り合うことがあり、同姓の誼で意気投合した結果、絶えず交遊を続けるようになったのだ。
 その友誼と郭昭の人柄に頼んで、郭泰は妹を彼に嫁がせた。
 郭嘉の母龐珋は、本の名を郭珋と言う。郭泰の血を分けた実妹である。
 しかし郭珋は生来の繊細で不安定な情緒から、複雑な事情を抱えていた。それゆえ扱いに困った太原の宗族は外聞を恐れ、郭珋の存在を禁忌として外に出すことを許さなかった。社会的にその存在そのものをなかったことにしようとしたのである。
 そんな宗族に憤り、妹を憐れんだ郭泰は、最も信頼できる男の許に託した。同姓での婚姻は禁じられているため、わざわざ古馴染みである龐氏の養女としてもらい、姓を変えた。
 郭珋は嫌がった。それはそれは激しく抵抗した。けれども郭泰は、郭昭が相手ならば郭珋も受け入れられるのではないかと賭け、押し切った。
 結果、郭珋は拒絶こそしなかった。その代わり、心を病んでしまった。
 郭泰は強引に事を押し進めたことを酷く責めた。大切な妹にも親友にもひどいことをしてしまった、と。
 それでも郭昭は微笑んで郭泰を許した。

『林宗殿の話を受けたのは私の意思です。貴方は決して強要はしなかった。私には拒否しようと思えばできたのです。けれどもそうしなかったのだからすべての責は私にあります。林宗殿には官吏時代にお世話になりました。こうして五体満足で郷に戻ってこられたのも林宗殿が口添えして下さったからこそ、命の恩人でもあります。だから今度は私が林宗殿の助けとなりたかったのです。後悔はしておりません。それにこう言うと嘘のように思われるでしょうが、これでも私は私なりに珋を愛しく思っているのですよ』

 それを聞いた時、郭昭という男の大きさ、深さに郭泰は深く感じ入り、心から敬服した。
 彼ならば、一家の柱となって郭嘉の拠り所たれると信じている。
 ただ聡明すぎる子は、要らぬものまで見据えてしまい、ともすれば厭世的になりやすい。
 だから郭泰は、たとえ郭昭が渋い顔をしても、清廉な彼には教えられぬことを――やれ妓女との遊び方だの賭場の作法だの商人との駆け引きだのごろつきとの付き合い方などといった、いわば世の下らぬ濁の部分をあえて教えた。濁った中にも煌めく人の性があることを、人の欲望ほど浅ましく見苦しく泥臭くそして力強く鮮やかに脈動するものはないのだと、気づかせるために。

 一部の人々、たとえば范滂などは郭泰のことを“貞にして俗を絶った為人”などと思い込んでいるようだが、それは違う。いつの間にか勝手に一人歩きしている“郭有道”という人物像に抱く幻想だ。郭泰ほど俗の習いを捨てられぬ者はいないと自ら思う。
 俗の内にこそ真実は隠れている。雑多な中にこそ真理が見えてくる。陰を知らねば陽を認識できぬのと同様、あらゆるものを知り体感して初めてその根底に流れる一つの則ともよべる本質が掴みとれるのだ。人の心も世の事も、しばしば虚実を逆しまに見せ、人を幻惑してこようとするが、それらに騙されてはいけない。

 (きよ)すぎる者はそこで苦しみ病む。穢れが必ずしもすべて悪しきことでないと知ることが肝要なのだ。清濁を併せ呑み、酸い甘いを噛み分けてこそ、人生と渡世の醍醐味が分かる。
 郭泰はその中庸を伝えたかった。郭泰自身がそのようにして物事の真髄を見極めてきたから。彼を世に名高くなさしめた人物鑑定の眼は、そのようにして培った洞察力であった。
 幸いにして郭嘉もまたそれに近い眼光を養いつつある。あるいは持って生まれたものだろう、人や物事を見据える眼差しはよく澄んでいて鋭い。
 ただ人と交わることを好みながらも世に関わることを拒んだ自分とは異なり、郭嘉には乱世に関わりうる可能性がある。どうするか決めるのは本人次第。郭泰はなるべく彼がその時に迷わぬように手助けをするだけだ。

 とりとめもなくつらつらと思いを馳せながら、来た道を辿る。
 遠く黒い山影の向こうで、夕陽が赤く燃えている。
 蜩が啼く。どこか寂寥とした響きに、ああ夏も終わりに近づいているなと、そんなことを思った。






 どこか遠いところで、カナカナカナと物悲しい声がする。じわりと背中や腕にかいた汗でまとわりつく衣が気持ち悪い。こめかみから頬に張り付いた髪をひと筋ふた筋と指で解いた。
 呂媛と下女らのつくる夕食の香りがほのかに窓の外から入り込み、お腹がぐうと鳴った。郭瑛は気落ちしかけてから首をぶんぶんと振って、気合いを入れ直し目の前の課題を再開した。木枠に挟んだ帛に、一つ一つ丁寧に針を刺していく。手巾に咲くのは、いささか不格好な牡丹の花だ。多少季節外れではあるが、郭瑛の一番好きな花だから、これにした。不器用な手つきで刺繍を施していく。
 今晩までに仕上げなければならない。明日には、許にいる兄に届ける荷が出てしまう。
 定期的に送られる品の中に、郭瑛はいつも必ずこうして刺繍をした手巾に墨で文を書いては入れていた。兄に自分が元気でやっていること、兄の言いつけ通り良い子でいること、努力して学んでおり、その上達ぶりを伝えるために。
 だから郭瑛は今日もせっせと縫う。
 手元が暗くなり、針先が霞んできた。灯りを貰いにいかねば。
 ひとまず卓に帛を置き、室を出る。回廊は暗く、誰もいない。今頃夕の仕事でバタバタしているころだろう。
 家僕を探してきょろきょろと廊下を辿り、ぐるりと裏手に回った時だった。

「・・・・・・ええ、うそ!」
「しっ! 声が大きい」

 にわかにした密やかな人声に、思わず足を止めた。
 どうやら下女らが炊事の合間に立ち話を楽しんでいるらしい。
 家僕の多くない郭家のこと、声で誰だかは判るが、常なら放ってそのまま通りすぎるところだ。
 しかし郭瑛は何となく気を引かれて、壁の陰に隠れてしまった。
 彼女たちの語調が、声量を落としながら緊張気味で、明らかに内緒話をしている様子だったから、生来の好奇心が顔を擡げたのだ。
 郭瑛は耳をそっと澄ました。

「あ、ごめんなさい・・・・・・でも」

 窘められた方の女が、それでも抑えきれぬ驚きと僅かな興奮を滲ませ、一層低めた声で一方に囁いた。

「本当なの、それ」
「噂だけど、でも古参の(びょう)も確かだって言ってたから結構信憑性高いかも」
「でもそれなら・・・・・・」

 はっと息を呑みつつ、恐る恐る尋ねる。

「旦那様はご存じなの」
「気づかないはずないわよ」

 だって、と口許を覆ったのか声がくぐもる。

「花嫁が初夜の時に破瓜しないなんて、生娘じゃないって証拠じゃない」

 どきり、と郭瑛の心臓が小さく打った。
 まだ子どもとはいえ、もう13。初潮を迎え、呂媛から女としての知識として教育は受けている。彼女たちが話している語の意味を知らぬほど世間知らずではなかった。

「翌日後片付けを任された下女が、褥はまっさらだったって言っていたらしいわ」
「まさか不義ってこと?」
「不義で済めばいいけどね」

 はあ、と深刻気に息を吐きながら、一方が言う。

「何でも噂では、奥さまは少し問題があって、あちらの一族でずいぶん扱いに手を焼いていたのだとか」
「そんな方がなんで旦那様の奥方に」
「困った挙句に林宗様が頭を下げたんだとか」
「押しつけられたってことじゃない。旦那様にしてみればいい迷惑ね」
「まあ何かほかに色々と取り引きがあったのかもしれないけどね」

 どきんどきんと、聞くたびに心の臓が鼓動を早める。郭瑛は壁に背をつけながら、己の胸を両手で押さえていた。彼女たちに聞えてしまうのではないかというほどに動悸が大音声を奏でている。
 これ以上は聞いてはならない、一刻も早く室に戻らねばと思うのに、身体は意に反して強張り、壁の一部と化したように張り付いてしまっていた。

「おまけに、初夜の時にご懐妊されたにしては、阿曉坊ちゃんは随分と早くにお生まれになったと苗が怪しんでいたわ」
「そんな、じゃあ阿曉坊ちゃんは」
「シィッてば! 声を落として。万一誰かに聞かれたら“こと”よ」
「でも・・・・・・」
「もし本当なら、家名に傷がつくだけじゃすまないんだから。そうなれば私たちだって白い目で見られるのよ」
「・・・・・・」

 郭瑛は思わず胸を押さえていた両手で口を強く抑え込んでいた。そうでもしないと叫び出しそうだった。動悸が激しすぎて気持ち悪い。喉の奥から心臓が飛び出してしまうのではないだろうか。
 いまだヒソヒソ話を続けている下女たちを後に、郭瑛は小刻みに震える両足でようやくそろそろと来た道を戻った。
 大分離れたところで、駆け出す。全速力で室に駆け戻り、牀台に飛び込んだ。

(阿曉兄様が―――父様の子じゃない?)

 被子に包まる下で、郭瑛は震えた。寒くもないのに、指先が冷たく震えている。

(母様と、他の誰かの子・・・・・・私とは半分だけ血の繋がった、腹違いの兄妹ということ?) 

 腹違いの兄妹。
 万一そうだったとしても、そのようなこと大した問題ではなかいはずだった。上の二人の兄とだって異母兄妹なのだ、それと何の違いはない。腹違いなど今時どこの家にでもいるし、ごく一般的にありふれたことだ。
 けれどその瞬間、郭瑛は我知らず涙が溢れた。悲しいのか分からない。ただただ声を押し殺して泣いたのだった。




 ふと目を開く。
 疲労と筋肉痛で重たい身を起こす。不自然な格好で卓に突っ伏していたせいか、身体が変に凝り固まって悲鳴を上げた。辺りはすっかり夕陽に染まっている。目の前の卓の上にはやりかけの刺繍があった。どうやら連日の稽古ですっかり疲れ、作業の途中で眠ってしまったようだ。

(懐かしい夢―――

 郭瑛は黄昏のつくる闇の中で瞬きをした。ふと目尻に中指の腹で触れる。涙の痕があった。
 遠くでカナカナカナと蝉の声がする。
 赤と金に染まる窓の外に首を傾け、落陽の眩しさに目を細めた。
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