新しい主従の誕生を、室の外からジッと見守る三つの影があった。 「どうやら上手くいったようですよ」 「まさかそう来るとはな……」 こっそり聞き耳を立てていた荀彧がふと微笑んで言うのに、理解不能とばかりに曹操は唸る。その横で郭嘉が仕方ないじゃないですか、と肩を竦めた。 「だって仲達は殿のことが嫌いだって言うんだから。そんな相手に無理やり忠誠心を煽ろうとしても逆効果なだけですからね」 「だが何も丕にせんでも」 「他に誰がいるってんですか。仲達は充足している人には興味がないんですよ。飢えている者の方にこそ、己のやりがいを求めていた。―――そして少爺もね」 結局二人はこの上もなく気が合ったということですよ、と郭嘉は結論付ける。 「つまるところ司馬懿も己が一番でないと嫌というわけだろう。我儘な奴だ」 「我儘度と頑固度は殿といい勝負ですね」 「貴方もね、奉孝殿」 にこやかながら容赦ない突っ込みの掛け合いに、曹操と郭嘉は互いにハハハと薄く笑う。 そんな似た者主従の姿に荀彧は一転深々と嘆息する。 「まぁ良いじゃありませんか。あの分であれば殿の懸念されていた反心も抱かないでしょうし」 「どうかな」 「大丈夫でしょうよ。私の見たところ、あの二人は“相”がよく合っている。上手くやっていけると思いますよ」 「そうそう。推挙した私としてもこれで安心と言うものです。それよりも殿、貴方がここのところ奉孝殿と遊んでいた分の仕事がたんまりと残っていますので」 にっこりと笑う荀彧に、曹操がややたじろぐ。神のごとき慈愛の微笑は、時に裏に鬼を潜ませている。 「ぶ、文若……お手柔らかに、な?」 「あーあ、殿。だからあれだけ文若殿を怒らすなっていったのに」 「貴方もですよ、奉孝殿」 「え」 他人事のように笑っていた郭嘉の襟首を荀彧ががっちり掴む。 「休んでいた分の溜まっている仕事、しっかりやってもらいますからね。ああ、ちなみに長文にしっかり監督するよう頼みましたから」 「うっそお」 「さあさあ、楽しい仕事場へ戻りましょうね」 「はい……」 「……有能な臣を持てて儂は幸せだなぁ」 「当然でしょう?」 そうして涙を流しながら魔の執務室へ連行される主従。 だがその一部始終は、実のところ室の中の二人には完全に丸聞こえであった。 「あの馬鹿ども……」 額に手を当てて渋面になる司馬懿に対し、曹丕は無感動な口調で、 「あの三人はああいうふざけたように見えてよく均衡をなしているのだ」 複雑な表情をつくりながらも、どこか遠くを見通すような真摯な眼差しで呟く。 「均衡…」と司馬懿もその語を舌の上で転がした。 「文若も奉孝も、曹孟徳という城を支える太い柱だ。そして曹孟徳は彼等を能く活かしている。能臣は明君を選ぶというが、父とその幕僚を見ていると本当にそう思う―――悔しいがな」 「…・・」 「本当のところを話せば、実は私ははじめ奉孝が欲しかった」 「郭嘉、殿を?」 一応あちらのほうが目上なので敬称をつけるものの、口慣れずもぞもぞする。だが意外そうに目を丸くする司馬懿へ、座につきながら曹丕は微苦笑を見せた。行儀悪く手置きに凭れかかり三人が去っていった方を眺める。 「蒲柳の性質だが頭は切れるし、何よりあいつは面白いからな。父の幕僚の中では最も歳が近かったからかよく相手もしてもらった」 感覚としては一番親しみやすかった。その流れで、郭嘉を捕獲しに来た陳羣にも、随分色々と教わったものだ。 だが、と曹丕は目を眇める。 「だが、あれは私のものではない。父のものだ。文若もそうだ。あれは父の王佐であって、私の佐ではない―――だから、私は私だからこそ仕えるという者が欲しかった。そしてようやく手に入れた」 「子桓様」 司馬懿に視線をあて、曹丕は気だるげな雰囲気から一転、不敵な微笑を唇に刻む。 「我等は我等の道を行こうではないか。そして父以上の『城』を築いてやろう―――なぁ、仲達」 決して大言で終わらせぬ力強い言に、司馬懿もフッと薄く口端を上げた。 「―――御意」 その後、曹丕は漢王朝の禅譲を受け、父魏王の位を超して皇帝の座につき文帝と号される。 そして常にその傍らにあって生涯文帝を助け続けた司馬懿は、歴史に残る名参謀として名を残すことになる。 三顧の礼? ふん、そのようなもの取るに足らぬ。 私など六回の辟召にも応じず、七回目で無理やり連れ出され、そしてたった一度のお忍びの酒席で生涯の主君と初顔合わせだったのだぞ。 これほど運命的な主従の出逢いはなかろう? |