姿の見えない孫家の末の姫を探して、とうとう途方にくれた侍女たちから泣きつかれ、周瑜はすでに日の暮れかけた城内を心当たりあるままに歩き回っていた。
 そして、もしやと思い向かった先でとんでもない情景を目にし、硬直する羽目になった。
 目の前には、夕焼けに染まる中、勾覧の階段にて童女を膝に乗せている男の姿。

「その交差しているやつを一緒に下へ内側に向かってくぐらせて……」
「こう?」
「上出来上出来」

 郭嘉は何故か髷を解いた姿で、膝上の少女を抱え込むようにしながら、前に回した手先で何か繰っている。
 見たところ、どうやら二人で仲良く綾取りに勤しんでいるようだった。

「……」

 周瑜は佇んだまま無言でそれを見下ろしている。
 気配に気づいたのか、首を巡らせた郭嘉と目が合う。途端、固まった。

「あ」
「あ、公瑾」

 己の良く知る人物に気づいた孫珠が笑顔を向け、可愛らしく声を上げた。
 だが大人たちの心中はそれどころではない。
 まさか……といわんばかりの周瑜の表情に、いや違う誤解だ、と郭嘉が引きつった顔に汗を浮かべながら目で訴える。
 そんな二人の言葉なきやり取りにひとり気づかない孫珠は、相変わらず無邪気な様子で足をブラつかせ、指に絡ませた綾糸を眺めている。

「小姫、残念だけど、もうお迎えが来たみたいだぞ」
「え~やだもうちょっと遊ぶー」
「珠姫。兄上が心配なさっておいでですよ」
「だってさ。ほらほら、さっき約束したばかりだろう?」
「むー」

 むくれる姫に、郭嘉が宥めすかしながら言い聞かせる。膝から下ろしてやり、その背を撫でて促せば、孫珠は弓と綾糸それぞれを片手に渋々周瑜の方に歩いていった。
 しかし周瑜が手を差し出したところで、

「いいわ、一人で帰れる。珠はもうオトナだもの」

 プイ、と顔を背け、さっさと通り過ぎてしまう。
 周瑜が軽く瞠目して、きょとんとしていると、

「珠は策兄様の嫪娰になるんだからね!」

 振り向きざまにそう宣言したかと思えば、忙しなく方向を変え、パタパタと回廊を走り去っていった。
 その背影を呆然と見送りながら、中途半端に引っ込めた手はそのままで、周瑜は呟いた。

「嫪娰?」

 背後を振り向き、もう一人の男に目線で問い掛ける。
 しかし郭嘉は頬杖をついたままただにっこりと笑い、周瑜を軽く指差して、

「情敵だってさ」
「情……? 誰がですか?」
「公瑾殿が」

 堪え切れぬとばかりに、小さく笑い声を放つ。
 わけの分からない周瑜は、ただ丸くした目を瞬くしかない。

「それで、一体どうしたんですその髪は」
「ああ、綾取りにいい紐がなかったからさ。使っちゃった」

 長く垂れる髪を肩の後ろに流しやりながら郭嘉は言う。姫君の椅子になった状態で手元に用意できたのがそれくらいしかなかった。
 ああそういえばあの髪紐、持ってかれちゃったな、と小さく心中でぼやいた。




「なんだかさ、珠がエライ大人しくなって」

 後日。
 あれだけ回帰を渋っていた孫珠が、一転してあっさり素直に「帰る」と言い、呉夫人と共に曲阿へ戻ってから数日経ったある日、孫策は周瑜にそんなことを言った。
 一体呉城在中の間に何があったのか分からないが、すっかり態度が変化したことに孫策は不思議そうに首をかしげていた。

「大人しく、ということは、武術もやめたということですか?」
「いやそうじゃないんだ。むしろ前以上に励んでるくらいらしい」

 孫策は苦笑というのか、なんとも複雑そうに笑いながら手を振った。

「なんだかさ、母上の手紙によれば曲阿に戻ってからも、別にじゃじゃ馬なのは変わらないらしいんだけど、前より無茶を言わなくなったというか、我が侭の度合いが低くなったというか。とりあえず前みたいに『お兄様のお嫁さんになる!』とかは言わなくなったらしい」
「良い兆候じゃないですか」
「うん、まあそう。そうなんだよな」

 孫策も腕を組み、うんうんと頷いている。そこはかとなく悲しげなのは、やはり可愛い妹が兄離れするのが寂しいのか。それでもそれは受け入れるべき変化だ。

「でも一体何があったのか謎でな。しかも、なんだか今度は『お兄様のロウジになるのよ』って言ってるらしいんだ。……公瑾、ロウジって何だ??」
「さ、さぁ私にも何のことだか……」

 ビクリと震えながら、しかし周瑜はそ知らぬ顔でそう答えた。心なし顔が引きつってなくもなかったが、それは孫策の気づくところではなかった。
 すべての答えを知っているのは、今日も回廊の勾覧に腰掛け、のほほんと茶を啜っている都の使いのみ。




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 とりあえず謝りたいけど最早誰に謝ればいいのか。

 今更正直に白状しますが、私、旋風江シリーズは初話から孫策死後の物語しか読んでない半エアプファンです(というか当時はすでに絶版になった直後で、古本にもなかったし、手に入る分だけしか持ってなかったんだ…今ならネットで手に入るかも)
 つまり妹ちゃんに関してはキャラをよく知りません。名前と大まかな性格まではギリなんとか、実際の喋り方とか考え方とか年齢とかもういっちゃえばオリジナルです。メンゴ。
 年齢に関してですが、孫夫人は基本生没年不明です。しかし161年生まれの劉備と政略結婚したのが209年(?)となっており、この時劉備が数え年で49歳。その劉備と30歳近く年が離れていたというので、29歳差と仮定して計算すれば、この時の孫夫人は数え年で20歳。
 この時代は早婚の風潮で、女子は15歳前後で婚約なり嫁入りが主流です。女性の結婚年齢の平均をとってみても大体15~17。

 参考史料を挙げますと、前漢の恵帝の令で“女子十五以上至三十不嫁,五算”、
 少し時代を下って、晋武帝制で“女年十七,父母不嫁者,使長吏配之”とあります。
 それぞれ「女子で十五歳以上で三十歳までに結婚しないものは五算」
 「女子、年十七歳で、両親が嫁に出していなければ、長吏にこれを配させる」です。

 ちなみに前漢当時の「五算」とは、十石(『こく』ではなく『せき』。秩録の単位)以上の罰金のことを指し、これは下級には適用されず、中級以上の家柄に適用される罰則でした。「配す」というのが具体的に不明ですが、流刑の意味もあるので、まぁ何かしらそういう刑罰に処せられる、という意味だと思います。
 その間に挟まれた後漢末も同じだったとすると、孫夫人が20歳という年齢で結婚というのは、当時の彼女の社会身分を考えるとちょっと遅いかな~と。もちろん絶対あり得ないというわけでもないんですが。
 ……ので、まあさらにギリギリまで引き下げて、劉備との年齢差を(多少史書と記述が矛盾しますが)30歳にすることにして、苦しいですが孫夫人の生年を191年にすることにしました。
 この話が大体199年あたりを想定しているので、この時孫夫人は8歳設定になります。

 また、一応孫家は曲阿にいることにしました。たしか195年から196年に曲阿を攻略して家族を阜陵から呼び寄せて移住させたとあるので、それ以来動いてないだろう~と考えそうしました。呉夫人、演義などでは呉夫人は早くに亡くなり、孫夫人の産み母親は呉夫人の妹で堅パパの第二夫人である呉国太という人物になっていますが、これは架空の人物であることと、呉夫人の生んだ子どもに「女子一人」という記述があるので、おそらく孫夫人も呉夫人自身の娘であろうと判断しました。

 なので此処で出てくる母親はみんな呉夫人。旋風江一作目に出てくるのも呉夫人ですよね。ご存命です。
 これまた本がないので分からないのですが、呉夫人が=呉英ママでいいんですよね??(ダメだこりゃ)
 神話はフィクションです。勝手に作りました。




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