「へぇ……」

 似たような笑みを浮かべる人物が、ここにももう一人。
 少年はフッと涙の光る眼差しを遠くへ投げ、自嘲気味に笑った。なんとなく陰を背負っているように見えるのは目の錯覚だろうか。
 「そりゃお気の毒様でしたね」としか言えない。

「酒乱は治せるようなものじゃないから仕方ありませんが。飲むななんて酷なことも言えませんし、せいぜい酒量を控えるしか」
「そうなんだけどさ……」

 未だ自嘲的な微笑を刻む少年。

「今更そうしてもさ……もうやっちゃったもんは取り返しが付かないってゆーか」

 個性と言えば個性だが、あまりにも強烈かつ迷惑すぎる。
 郭嘉はそうですねぇと慰めとも思えぬ同意を吐いた。

「それでもさ、やっぱりこのままじゃ駄目だと思って」
「でしょうね」
「とりあえず手始めに恋文を認めて人づてに渡したんだけど……」
「これは?」

 と風で飛んできた帛を掲げる。

「失敗した下書き」
「なるほど」

 確かに色々と涙ぐましい試行錯誤の跡がある。だがこれとほぼ同様の内容を相手に贈ったというわけだ。

「して、お返事は?」
「……」

 無言で、持っていたもう一つの帛の方を差し出す。どうやらそれが返信のようだ。読めと言うことらしい。
 「ではちょっと失礼して」と断りを入れてから、そっと受け取り、流麗な手の文面を拝見する。

『貴方様のお気持ち、畏れ多くも大変有り難く存じます。ですがわたくしめは見目卑しく、性根浅ましき化生の女にございますれば、貴方様のお褒めの言葉の数々はこの身に余るものに存じます。それでもなお貴方様がまこと心から我が身をお望みくださり、再びその想いの証をお示しくださるというのであれば、あるいはわたくしも分不相応の身を以って、敢えて貴方様の意にお応えいたしましょう』云々。

 平たく言えば「出直して来いやコラ」というわけである。

「……」

 さすが百戦錬磨の女官。初心で恋のいろはも知らぬ少年に、返答も手痛い。
 郭嘉はこほん、と一つ咳払いをした。

「つまるところ駄目出しを食らったと」
「無礼だぞ」

 じとっと半眼で睨まれれば、これは失敬、と郭嘉はあらぬ方を向いた。

「とはいえ、まさにその通りなんだ」

 もう溜息すら吐ききってしまったのか、茫然自失の様で少年はぼやく。いくら言葉で取り繕おうが、結果的には同じことだと自覚はしているらしい。

「そうですねえ。まあ確かにこれでは……くっ」

 手の中の「下書き」を一瞥し、寒い美辞麗句の連なりを思い出して再び笑いを禁じえない。酒乱云々を差し引いても、これはさすがに普通引くだろう。
 最早少年は疲れたのか、そんな『庭師』の無礼を咎める気力もないようだ。

「やはり駄目かな……」
「ていうかですね、根本的に外してるんです。不肖私めの経験から申し上げますと、女を落とすには色々とコツがあるんですよ」
「何!?」

 その一言に少年の様子がガラリと反転する。ガバッと身を起こし食いついてきた。
 したり顔で目を伏せる自称庭師に、「そ、そのコツとは!?」と縋らんばかりの目を向け先をせっつく。

「およそ女性とは夢見がちなところがありつつも、ひたすら夢に突っ走りがちな男とは違い、存外冷静かつ現実的な生き物なのでございます」

 尤もらしく言って、郭嘉は帛文を掲げ持った。

「要するに女は、飾り立てられた美辞麗句だの詩歌だのを初っ端から急にもらっても、さして心を揺り動かされないのですよ」
「白々しいということか……」
「そうとも言います」

 端的に言えば寒い。

「恋仲までなればそれもまた手段の一つとなりえますが、とにかくそれは二の次で、常にその時その時の直接的な接触が勝負なのです」
「接触……」
「おっと、生々しい意味合いではありませんよ?」

 郭嘉はにっこりと釘を差した。

「そうですね、まずは基本的なところか行きましょうか。とりあえず何をおいてもまずは見た目です」

 ふむ、と顎に手をやり、まじまじと少年の姿を凝視する。

「若君は顔立ちもなかなか整っておりますし、立ち姿もよろしいので、まずは及第ですね」

 外見の占める割合は大きい。多少性格に難があっても、顔が美形であればその点は差し引ける。
 次に割合を占めるのが人柄。

「性格はまあ、優柔なきらいもありそうですが、女性によってはそれも美点と言う者もいますから、これもまた問題はなし。酒癖がかなり点数を下げていますが、挽回できないほどでもない」

 少年は緊張した面持ちで真剣に耳を傾けている。

「最後は接し方ですね」
「ず、ずばりその方法は!?」

 一番の肝心だ。少年はごくりと唾を飲む。
 郭嘉は人差し指を立て、ここからが本題だと声音を低めた。

「いいですか。女性とは、温度も何も感じぬ物質よりも、生身の声と熱を伴った表現を求めるものです」
「な、生身か!」

 それがつまり直接的な接触と言うわけだなと問う少年に、左様ですと頷き返す。

「そして、己の思いを相手に伝えるときは、ただ単に面と向かえばいいってものではないんです。何より効果的なのは、相手の目を見て、身体に触れながら、心をこめて伝えること。これは男女の関係に限らずすべてに言えることですが、目を見ることや身体に触れて告げる思いは相手に強い影響力を及ぼします。特に女性は、男性に真剣な眼差しで見つめられて腕でも掴まれながら愛を囁かれれば、多少なりとも心が揺さぶられるものなのですよ」
「ふむふむ、なるほど!」
「とは言うものの、相手は良家のお嬢様で当然ながら未婚。不躾に身に触れるということもそうそうできますまい。ですからこの際、触れぬまでも、しっかり相手を見つめることです。眼差しは時に口よりも雄弁に物語るとも申しますからな」

 少年はこくこくと何度も頷く。ていうかなんでこんなところで恋愛講座などをやっているのだろうと、今更ながら郭嘉は疑問に思ったが、少年の必死な様を見ているとなんだか微笑ましくなってきて、そのままの調子で続ける。

「若君は変じ手が利かせられるほど器用な方ではなさそうですから、とにかく直球勝負です。見たところこの返信は完全に貴方を拒絶しているのではなく、むしろ挽回の機会を与えてくれています。言い換えれば貴方の酒乱癖を見てもなお、まだ少しは受け入れる気持ちの余地があるということ。ここで自分の心にズバンと一発かますことができたら考えてあげなくもないわよーんと言っているので、まだ脈ありと言うことです。ここは正直な思いを隠すところなくズドンと告白すれば、結構いい線いけるかもしれませんよ」 「相分かった」

 先ほどまでのどんより加減とは一転して、やる気満々の調子で少年はガバッと立ち上がった。天を仰ぎ拳を握る。

「目と目で、ズドンと一発だな!」

 なんだかちょっとズレているような気がしたが、とりあえず「その通りでございます」と肯いておく。

「よし! 俺はやるぞ!!」

 言うなり、少年はバッと身を翻していずことへなく駆け去っていった。
 まさに嵐のようだ。
 その慌しい背になんだか一抹の不安を感じつつも、ご武運をと郭嘉はひらひら白い帛を振って見送った。




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