「それで?」
「……」

 その翌日だった。何だかんだいって顛末が気になり、再び庭院を訪れて見れば、案の定と言うかやはりというか。
 少年の更に打ち沈んだ姿がそこにあった。しかも、左頬に見事な手形を貼り付けて。

「一応訊いておきますが、一体何をやらかしたんです?」
「……殴られた」
「そんなの見りゃ分かります」

 呆れ果てたというか何というか。頭を悩ませるような言い草に、郭嘉はすかさず切り返す。
 少年はいささか膨れ面で、憮然と言った。

「押した」
「? 何を?」
「だから、押し倒したんだよ!」
「……はぁ?」

 焼っ鉢に吐き捨てられた言葉に、郭嘉は呆気に取られた。
 つまり、郭嘉が言った「押す」という比喩を、そのままの意味に捉えて物理的に実行したわけだ。
 そして、見事相手の逆鱗に触れておまけを連れて帰ってきた。
 郭嘉は本気で頭を抱えた。
 何か特異なことをやらかす御仁だとは思っていたが、まさかこう来るとは。物騒な考えをすれば、そのまま事に及んでしまえばあるいは良かったかもしれない。が、その痛烈な一手に怯み、すごすごと退いて来たわけである。こうなっては、状況は逆に悪くなった。

「あんたねぇ……」

 最早敬語を使う気力すらない。

「いきなり問答無用で押し倒す奴がいますか」
「だって押すって言ったらそれしかないじゃないか!」
「んなわきゃないでしょう。実力行使に出たら誰だって怒りますよ」

 半ば泣きが入って反駁する少年に、郭嘉は疲れた溜息を吐いた。一体江東の虎は息子をどのように教育してきたんだ。

「うう……どうすればいい……もうダメだ。終った」

 回廊に座り込み、膝を抱えてブツブツと情けなく呟く。完全に塞ぎこんでしまった彼に、さすがに憐れに思えてきた郭嘉は慰めともつかぬ言葉をかける。

「そう落ち込みなさいますな。これで終わったわけではありますまい」

 なんだか段々許都の殿を相手に軍事の相談を受けているような感じになってきたな、と頭の隅で思う。恋の駆け引きは戦と我ながらよく喩えたものだ。

「ダメだよもう……絶対嫌われた」

 なんて情けないと、この場にかの兄がいたら怒鳴ったことだろう。男がメソメソとみっともないと。
 だがそんな悲観的な少年に、郭嘉は思いがけない台詞を吐く。

「いや、案外そうとも言えないかもしれませんよ」
「……え?」

 少年がおもむろに膝から首を上げる。さすがに泣いてはいないが、この世の終わりのような酷い顔だ。ちなみに頬の勲章はまだ健在である。
 絶望的な色を宿す少年の目を見返し、さすが場慣れしているというべきか早くも衝撃から立ち直った郭嘉は、いつもの悠然とした余裕を見せた。

「まだまだ挽回の機がないとは限りません」
「でももうきっと会っちゃくれないよ。今更どうしろというんだ」
「申しましたでしょう。恋とは駆け引きだと」

 飄然と微笑し、郭嘉は言った。

「古来よりこう申します。『押してだめなら引いてみな』」




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