時は過ぎて、その日の夜更け。
三更を回ろうかと言う時刻に、明かりも無い暗い殿に人の影があった。
燭台を片手に持ちつつ、周瑜が雑草生い茂る空間を行く。その後ろから郭嘉はついて来ている。
何といっても郭嘉は城内に不案内だし、勝手にうろついて人に見咎められても困るので、先に落ち合ってから此処へ来ていた。
「なるほど、これは何か出そうな雰囲気だな」
かさかさと、不安を書きたてるようなさざめきが通り過ぎる。冬が近いといえどもさすがに暖かな気功の地とあってか、北方に比べて草木の生命力は圧倒的である。己の腰ほどまでに鬱蒼と背を伸ばす草を見下ろしながら、郭嘉は別の意味で感嘆の息を吐いた。
それらを掻き分けながら先を進む周瑜は、未だにどこか釈然としない表情で言う。
「本気でやるんですか?」
「ここまで来て今更何言ってんだよ。それに子明殿だって俺たちが行かなきゃずっと待ち惚けだぞ」
「それはそうなんですが……」
いまいち乗り気でない周瑜の口調に、かえって引っ掛かりを覚えた郭嘉は逆に尋ねてみた。
「何かあるのか?」
周瑜が怪力乱神を好まないのは承知している。それは合理主義からくるものだと判断していた。
だがどうもそれだけではないような匂いを、周瑜の言葉尻から嗅ぎ取った。恐れているのとも違う気配だ。
周瑜はしばらく口を噤み、やや躊躇った後、言った。
「正直なところ、昔からこういう場所は得意じゃないんです」
「こういう場所って、鬼が出るといわれるような?」
ええ
――――と周瑜は小さく応える。
「不快感と言いますか……居心地が悪いと言うのが一番近いかもしれません」
燭台の炎が頼りなげに揺れる。灯が消えぬよう注意を払いながら、周瑜は訥々と語った。
「あまり言いたくはないのですが、昔から何かを感じ取ることはままあります」
「もしかして、公瑾殿はわりと感応力があるほうとか?」
「そんな大袈裟なものでは。ただ人よりも少しばかり敏感なだけです。私は気のせいだと思いたいんですけどね」
だが、どうやら大抵は気のせいではないらしい。ひどい時には体調にも影響する。周瑜にとっては好ましいとは言えない感覚なので、そういった噂の類があるところには極力近づかないのだ。
郭嘉はふうんと鼻を鳴らした。周瑜は見た感じからして鋭敏そうだし、何より楽才もあるほどだ、おそらく常人に比べて感覚繊細に生まれついているのだろう。であればそういうこともあるかもしれない。
「だからあんなに渋っていたのか」
「まあ本音は確かにそれもありますけど」
「それは悪いことしちゃったな」
いえ、と周瑜は苦笑する。気を遣ったわけではないが、それでも最終的に受け入れたのは自分だ。
「今時鬼なんてとは思いますし、むしろ不審な人間が入り込んでいるのであれば警備を見直さないといけないので」
再び正面を見て生真面目に言う。見かけによらず頑固な合理主義の周瑜は、たとえ自分の感覚といえどもそれを肯定することはできないようだ。
「そんなものかな。俺は鬼とか見たことないから一遍見てみたいなーとは思うけど」
郭嘉がどこまでも楽天的に言うので、周瑜はつられるように苦笑を微笑に変えた。
「好奇心旺盛ですね」
「未知なるものを知るのは楽しいじゃないか」
なるほど郭嘉らしいと、周瑜は思う。才者は知を求めるから。
「お、あそこで手を振っているの、子明殿じゃないか?」
ふと郭嘉が指差した先を見れば、廃墟と化した建物の走廊らしき所に、灯を持った人が此方に向かって手を振っている所だった。
「どう? あれもユーレイだったりして」
悪戯気に嘯く郭嘉に周瑜も忍び笑う。クスクス笑い合いながら、二人は手を振り続ける人影の元へ爪先を進めた。