「あ、お待ちしてました。こっちです」
随分早くに来ていたのか、大分芯の低くなった灯火を持った呂蒙が寂れた古い回廊の端に立っていた。後から来た周瑜と郭嘉の姿を目にして潜めた声をかける。
「何を笑っておられるのですか?」
「いや、何も」
「?」
笑いながら近づいてきた周瑜と郭嘉を不思議そうに見比べ呂蒙はきょとんと瞬いた。
二人、とは言っても、実は双方とも背後にそれぞれのは細作もついてきているのだが、彼らは闇に紛れて見えない。
「なんだお前、その様子だとかなり前から来てたのか?」
火元を見た郭嘉が呆れたように言えば、呂蒙は「へへ……ちょっと逸りすぎました」と照れたように小さく笑って答えた。
それから、軽く指先で顎を掻き、
「あと、実はお二人には話してなかったんですけど
―――」
一転してどこか言いにくそうに言葉を濁す呂蒙に、周瑜と郭嘉は眼差しに疑問を浮かべて見つめる。呂蒙は「とりあえずこっちです」と回廊の先陣を切り、誘導した。
回廊の突き当たり
―――方角で言えば西の、庭院(あまりにも荒れていて定かではないが)らしい空間。そこの曲がり角に、壁に身を潜めるようにして向こう側を覗いている人物の後ろ姿があった。
郭嘉たちの話す声音に気づいて、肩越しにくるりと振り向く。
「あ、来たか子明
―――」
「なっ」
ともし火の中で浮かび上がった姿形に、周瑜が絶句する。
だが当の本人はといえば気する風も無く周瑜を認めて笑顔を向ける。
「ああ、公瑾
―――と、あれ? 庭師?」
その後ろについてきた郭嘉の姿を見て、その青い瞳をきょとんと瞬いた。
「……『庭師』?」
「はは……」
周瑜が眉を顰め胡乱気に郭嘉を見やる。郭嘉はただ視線を逸らし、心なし引きつった笑みを口端に浮かべただけだった。そういえば例の当て馬騒動の後、周瑜に問い詰められても詳細な経緯を黙して語らずのままであった。
「それはともかく」
さしもの冷静沈着な周瑜もいつになく焦った様子を隠せず、呂蒙の方へと押し殺した声音で囁いた。
「なんで仲謀様が此処にいらっしゃるんだ」
「い、いやぁそれが……」
あらぬ方向に視線を彷徨わせながら、呂蒙はこめかみに汗を浮かべた。
「たまたまあの噂話をしたら、仲謀様も是非見に行かれたいと仰られて」
「何故お止めしなかったんだ」
「め、命令だと言われては……」
武人かつ忠義精神ゆえ、主君とそれに準じる者の命令には逆らえないのだった。
周瑜は無言で額を押さえる。本日二回目だ。このところ無駄に頭を悩ませられることが多い気がする。
「ていうか公瑾はともかく、なんで庭師までいるの??」
依然分かっていない孫権が、再び問いを口にする。
郭嘉は頬を掻きながら、
「ええと……あ、そうです。噂の寂れ荒れ果てた庭園というものに職人根性をそそられまして、腕が疼いたといいますか。しかしこんなところで皆様にお会いするとは、いやはや奇遇ですなぁ。若君におかれましては、お久しゅう」
「いやいや、また会えてうれしいよ。ちょっと相談に乗ってほしいことがあってさ……」
言いながら暗い影りを帯びる孫権のたそがれた笑みに、郭嘉は内心またかよ!と思わないでもなかったが、横合いからちくちく刺さる視線を気にして、あえて何も口にしなかった。
「あ、それよりも鬼ですよ鬼!」
微妙な空気を察した呂蒙が、慌てて本題に戻す。
「噂によれば、件の鬼は二更を過ぎた頃に目撃情報が多いんです。ただ場所が特定できなくて」
「それじゃあ、適当に中を探索しようじゃないか」
孫権が陽気に提案するのに、呂蒙も頷く。
「そうですね。折角ですし」
ということで、と呂蒙は郭嘉と周瑜に笑顔を向けた。