どしどしと足音も甚だしく、到来の告辞もなく、乱暴に入室してくる。
 障風の向こうから現れた闖入者を、周瑜と郭嘉がポカンと見上げていた。

「公~瑾~やっぱりここにいやがったな」

 性懲りもなく―――そう腹の底から唸る孫策の仏頂面を、周瑜は半端に腰を浮かせた格好で、呆けながら見返す。
 孫策の後ろには、呂蒙が半泣きの様相で両手を組んでいる。パクパクと唇を動かし、声無き声で「すみません」と訴えていた。

「伯符様」

 むしろ貴方が何故ここに、と問いたい気持ちを抑えた。

「わーお、何これ修羅場?」

 緊張感なく笑えない冗談を吐く男を、周瑜が上から睨めつけた。
 ついでに孫策からも一睨み来る。

「何でてめーがいんだよ」
「何でも何も、客が客室にいちゃいけないか?」

 郭嘉の口調は勅使役の時とは一転、随分とぞんざいで飄々としている。
 ぐっと孫策が詰まる様を、半ば呆れた態度で眺めつつ裾を払って立ち上がった。やれやれと袖口を振って伸ばす。

「気をつけてくれよ。あんたがこうして血相を変えてここに踏み込むところを誰かに見られたら、また要らぬ誤解を招くんだからな。せっかく俺が事を収拾する機会をやったってのに、水の泡にするなよ」

 孫策がムッと渋面をつくるのを見て、郭嘉は周瑜に同情の眼差しを向けた。

「こうも感情が先立って行動するんじゃ、お守りする方も大変だな」

 周瑜は何とも答えられず、曖昧に微笑む。それを見て孫策は絶望するようにがなった。

「お前、そこは否定するところだろ!」
「すみません」

 口では謝りながらも表情は相変わらず笑い止む気配はない。孫策はますます眉間に皺を寄せた。何でこいつら、こんなに寛いでいるんだという顔つきだった。

「ガキじゃあるまいし、だだ捏ねるな。ほら子明殿も困ってるじゃないか」
「うるせえな、ていうか何なんだてめえはいちいち、俺の母親か?」

 ギッと孫策がきつく睨み据えると、郭嘉は心外だとばかりに返した。

「失敬な。せめて性別を合わせて父親と言ってくれ」

 全くズレた反駁に周瑜と呂蒙が脱力する。「そこじゃないでしょう」と小さく呟いたが、当の本人は聞こえないふりをしている。

「ふざけんな、てめえみたいな父親死んでも御免だ!」
「俺もあんたみたいな脳筋な息子は願い下げだよ」

 孫策が今にも地団駄を踏みそうな勢いで顔を真っ赤にしている。そもそも口で郭嘉に適うはずがない。

「てめーなんか大ッ嫌いだ!!」

 伯符様、それは童子の捨て台詞です……と周瑜は顔面を覆った。

「それは残念。俺は結構好きなのにな」

 瞬間、孫策が気色悪げに呻きを上げた。対する郭嘉は腰に手を当てて飄々と笑っている。明らかに孫策の反応を見て楽しんでいる顔だった。

「公瑾ー! なんだってこんな性悪を引き抜こうだなんて思えるんだ!」
「それは俺が天才だから」
「お前には聞いてない!」

 いけしゃあしゃあと発言する郭嘉へ猛然と吐き捨てる。
 周瑜もどう答えたものか、ただ困ったようにしている。

「まあまあ、伯符様も落ち着いてください。奉孝もどうかそれくらいで……」

 この時周瑜は、あとで振り返っても実に己らしくない失敗を犯した。
 宥めるつもりで言った言葉は、思い切り逆効果となった。
 孫策の眉がピクリと上がる。

「……ほっほう。そいつのことは字呼びなんだな。俺に対してはしないのにな」

 低い声音に、周瑜がしまった、と口を押さえる。それから誤魔化すように、

「してるじゃないですか。ほら伯符様と」
「様付けするなって言っても聞かないくせに。それに引き換え、随分親しいこって」
「だって俺たちソーシソーアイだから」

 なあ?と郭嘉が横合いから周瑜の首元に腕を絡める。喜色満面で孫策を覗っている。これは完全に遊んでいる顔だ。
 彼のこの手の冗談に慣れすぎて麻痺している周瑜は、特に何の反応を返すこともなく、ただ額に手を当てて苦悶していた。眉間の皺が「余計なことを」と克明に告げている。

「そ……っ」

 さしもの孫策もこれには言葉に詰まった。
 様々な感情が浮かんで消える顔の口元を引き結ぶと、

「勝手にしろ!」
「あっ、と……殿!」

 プイッと踵を返して出て行く。呂蒙が追いかけたものか躊躇し、周瑜の顔と主の背を見比べる。
 来た時と同じようにドスドスと激しい音が、遠くに去っていく。

「あーらら、拗ねちゃった?」

 周瑜の肩越しに郭嘉はきょとんと目を瞬かせている。

「誰のせいだと思ってるんですか」
「喧嘩売ってきたのはあっちだぞ」

 周瑜の責め口調にも堪えた風もなく、腕を放して肩を竦めた。
 それで低次元の言い争いが繰り広げられたのだが、専ら本気だったのは孫策だけだ。郭嘉はわざと挑発的な発言をして孫策をからかっていただけだった。
 ところがそれを指摘すると張本人は悪びれる風もなく、

「だって討逆殿ってホント簡単に挑発に乗ってくれるから超面白いんだもん。いいよなー、若くてスレてないって」

 許昌で郭嘉の周りにいる人間は、平均年齢が高いということもあるが、大体が世知辛い世間の荒波に揉まれて来た能吏ばかりなので、からかって遊ぶことがなかなかできない。要するに可愛い気がない。比較的反応が見ていて面白いのは陳羣だが、後の報復があったりするので気が抜けない。人材の素直さにおいては東呉に負けるな、と郭嘉は何の足しにもならない評価を下した。

「それにしても、意外と仲が良いんですね」

 孫策がこの場にいたら猛然と否定しそうな感想を、周瑜はしみじみと口にした。

「これ仲良いっていうのか? 俺は暴れ虎なんて相手にしたことないから、公瑾殿ほど上手くあしらえないぞ」
「私は猛獣使いですか」
「……公瑾殿って、たまにズバッと酷いこと言うよな」

 猛獣と言い切ったことで、呂蒙と目を合わせると、彼は笑いながら哀しげな表情をしていた。そう言う郭嘉も、江東に来る前の曹操との会話で全く同じ表現を口にしてはいるのだが。
 しかし小首を傾げて不思議そうにしている当の発言者を見ていると、わざとなのか天然なのか分からなかった。




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