太陽がふと息抜きするように強さを和らげた時、南では冬の訪れを実感する。
 冬至が近づいてくる。
 周瑜は冊書に落としていた視線を、飾り窓の外へ投げかけた。
 近頃、そればかり考えている。
 まるでその足音が聞こえるかのように、近づく時を一刻ごとに感じている。
 心の整理はつけたつもりだったが、覚悟が足りなかったのだろうか。

(我ながら未練がましい)

 口の端に自嘲を刻みながら、顔を伏せる。
 これは焦りなのかもしれない。なんとか留め置きたいと願い、懸命に握りしめるのに、虚しく指の間から零れ落ちて行くものへの。心にあるのは屈託だ。
 別離への物悲しさ―――そして、次に見える時、恐るべき敵として向き合う瞬間が、怖い。
 周瑜にとって彼は、警戒の対象からいつしか親しみの存在に変わっていた。胸中に、決して小さくない場所を占めるほどに。それは孫策に抱く感覚とも少し違う。

(分かっている―――これは甘えだ)

 孫策と共にいる時、周瑜は己を形作るすべての凹凸が、ぴったりと合わさるようなしっくりとした感触を覚える。だがそこにあるのは信頼や絆であっても、安心というのとはまた別質のものだ。孫策は良くも悪くも刺激を受ける存在だった。互いに切磋琢磨しながら更なる高みへと進んでいける相手。己の意見を忌憚なく言うことに抵抗はないが、時に衝突は免れず、またそのことを覚悟して挑まなければならないところがある。そういう意味では気を抜いて対することができない。近しいが故の摩擦抵抗だ。

 妻の晶にも心の安らぎを感じるが、そこはやはり男女の違い、特に愛情という点で物が異なる。それでも夫として彼女を守らねばならぬという使命感と、仕事上のことは語れぬという義務感のために、やはりどこかしら己を制御している。

 しかし郭嘉に対しては至極自然体で接することができた。もちろん戦略的、政治的な立場の違いがある以上、全くの無防備無思考とまではいかないが、それでも一の言葉だけで、こちらの意図を十も百も汲みとれる彼に、些細な言葉の綾であったり、誤解されるという怖れを抱くことはなかった。
 打てば響くような心地よさ。己のすべてをさらけ出してもなお受け入れてもらえる、気を回さずとも良いという安心感。だから甘えてしまう。少年時代孫堅や愈河に感じて以来、久しく抱いたことのない反射だった。
 懐柔はされぬと宣言していたのに、気づけば思った以上に深いところまで情が根差していたらしい。
 何より、彼は稀代の才人だった。溢れんばかりのその才気は、戦慄しながらも一目置かずにはいられない。
 周瑜は少しだけ曹操という男に興味を持った。あれほど得難い人物の心を得えた男は果たしてどのような人間なのだろうかと。
 だが、一度分かたれた道は戻ることはない。
 魂が強ければ強いほど、志も翻ることはない。
 周瑜の目は、卓の上で日に煌く小瓶にじっと濯がれていた。




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